2008年2月10日 (日)

きぼ

きぼ。

それは果てしなく遠い夢ではない。これさえあれば、人生が安らかになるもの。すべてを投げ出せば、届くかもしれないもの。

誰しもがきっと持っているであろう、その感情。想い。でも、それは人それぞれ違うものであろう。ある人は、ずっと歌を歌っていたいって言った。自分が考えていることを歌で誰かに伝えていきたいって言った。ある人は、とにかく研究をしたいって言った。世の中の物理的な疑問を解明していきたいって言った。ある人は、ただただお金がほしいって言った。何に使うでもないけど、ただ、お金がほしいって言った。ある人は、死を求めているって言った。何にもない世の中、生きていてもしょうがないって言った。そして、ある人は、大好きな人と結ばれたいって言った。自分は情けないやつだけど、その人のそばにいられるなら、ずっといたいなって言った。

きっと誰もが思い描くきぼ。でも、それを実現するためには、必ずさまざまな苦難が待っているはずだ。さまざまなものを捨てなくてはならないはずだ。理性だって捨てなくてはいけないはずだ。人間は、そう簡単にできるもんじゃない。人には責任がある。生活がある。周りには人がいる。

きぼ。ぼくにはよくわからない。そんな矛盾した想いは、ぼくにはわからない。

2007年10月11日 (木)

生きることが辛くて

何だか涙が出る

いつの間にか月日がたって

気がつけば1年がたつ

家に帰りたくない

そんな時もあるだろう

一人でどこか

だれもいない場所にずっといたい

求めるものなどなくて

生きる活力もなくて

ただ死ぬことが怖くて生き続けるだけさ・・・

言葉にはできない

この思いをだれかに伝えたい

涙をふいてまで行かなくてもいいから

辛いときは足を止めて

ゆっくり進めばいいさ

 

夢に描いたような

そんな人生になると

信じていたあの時に戻れるなら戻りたい

未来に何があるか

わからぬまま生きていく

未来は自分の力で変えていこうと

必死になるよ

生きる道に迷う時は

迷うだけ迷って

自分らしく自分で見つけ出そうよ

あせらずに・・・

怒りやせつなさは

はかなくて無力さ、そんなものさ

夢に描いた道を行かなくてもいいから

せつなさは心にしまい

強い意志を持とう

 

言葉にはできない

この思いをだれかに伝えたい

涙をふいてまで行かなくてもいいから

辛いときは足を止めて

ゆっくり進めばいいさ

ゆっくり進めばいいさ

2007年8月 8日 (水)

最近、ぼくは恋がしたいと思う。

最近ぼくはどきどきする気持ちを味わっていない。基本的には初対面で話した女の子は少し気になって、その人を考えたりするけど、本当に恋というところまで発展してはいない。その好きな人を前にすると胸がどきどきして、その子が他の男としゃべってるとものすごく嫉妬して、しゃべろうとするといつもなんか空回りしてしまって、少しでも時間ができるとその子のことを思い出して、何よりその子が自分をどう思ってるのかが気になってしょうがなくなる。そんな恋は全く遠ざかっている。実際そんな恋をしていないので、恋がどんなものであるのか忘れてしまっているくらいである。

ぼくには今彼女はいるが、もう2年になり、確かに彼女は好きだけど、そういう‘どきどき’であったりするようなことはなくなってしまった。彼女のことは好きである。彼女といると楽しいし、すごく自分を出せて、落ち着くことができる場所がある。それはとても幸せなことなのかもしれない。それ以上はないのかもしれない。それなのに人間は他の恋がしたくなってしまうのだ。彼女を飽きたわけではない。確かに自分とは違う面や少し嫌な面も見えてくるが、別にそんなことは慣れの問題でなんとかなることであると思う。しかし、やはり新しい恋を求めてしまうのである。

すごくそのどきどきを味わいたくて昔のどきどきした出来事を思い出そうとするが、思い出したら思い出したで落ち込む。自分は本当にだめだったなぁってそっちばかりを思ってしまう。恋をしたってどうせまた自分が嫌になるだけである。どきどきするってことは自分のダメさを痛感するってことだと思う。でも、それでも人間は恋をすることをやめない。それは人間の、動物の本能であるのかもしれない。恋は、誰しもに生じることなのである。その生じ方はもちろん人それぞれである。全然恋にならない人もいれば、すぐ恋してしまう人だっている。どんなときでも恋は生じるときは生じてしまうのである。しかし、それでも恋は結局は自分で作り出していく物であると思う。恋に発展しそうになっても、そこで身を引いてしまってはそれは恋ではなくただの逃げなのであろう。

ぼくは、そんな恋を味わってみたくなっている。必ず後悔するその恋を味わってみたくなっている。最近ではインターンであったモデル風の女の子がとってもいい子で、もっとその子のこと知りたいって思った。飲み会とかで話したし連絡先とかも聞いたけど、でもこの先どうしようもない。結局そうやってぼくは逃げるだけなのである。恋がしたいくせに、そこにあるのは勇気の壁と日常の壁である。

ぼくは恋をすることができるのであろうか。

2007年5月16日 (水)

バカ2

実験の子は今日も気になる存在だった。

実験の班で同じの唯一の女の子の彼女が気になって仕方がない。あの日以来実験の日は少し楽しみである。いまだに携帯を聞いたわけでもないし、そんなに話せるわけでもない。相変わらず彼女が自分を見てる気がしたりするし、ぼくは実験のときは常に彼女の近くにいて一緒のことやっていたいと思う。そして、今日は彼女が少し違った。

彼女は今日なぜか化粧に気合いが入っていた。今まで見たことのない化粧の気合いの入り方で、まつげが上にくるんとあがって目がいつもより大きく見えて、確かにかわいくなっていた。化粧ってすごいって思った。でも、なぜ今日彼女は化粧をしっかりしてきたのだろうか。疑問である。今日は実験であるからお昼の時間もいつになるかわからないし終わる時間だって定かではない。だから、今日誰かに会う日とかではないような気がする。そしたら実験のためにしてきたのであろうか。一体どういう気持ちで化粧してきたのだろうか。こんなことが起きると、ぼくはまた勘違いしてしまうではないか。彼女は今日ぼくに会うから化粧してきたのではないかって。勝手に勘違いしてしまうではないか。いろいろ考えてしまう。バカみたいにいろんな想像をしてしまう。なんだか彼女がぼくのために化粧をしてきたようにしか思えなくなっていくる。違う可能性があるとすれば、実験班のほかの男である。また、今日昼休憩のときにたまにその班の男たちとご飯食べるのに今日はいなかった。てことはお昼に男に会っていたのであろうか。また、実験班の一人の男が今日昼休憩で食堂にいただろうかという疑問が出てきた。もしその男と彼女がどっかで二人でお昼食べていたりしたらとっても悔しい。とっても悔しい。彼女の気持ちが知りたい。ただ単純に、今日彼女が化粧をしっかりしてきた理由が知りたい。

また、今日は実験の終わる時間がぼくの彼女とかぶってしまい、非常にめんどうなことになった。ぼくの方が実験の子よりも実験が早く終わったので、ぼくの彼女と早めに帰ったが、ぼくの彼女が指輪を落としやがって学校まで探しに戻ったのだ。そのときに実験の子と会ったらどうしようと正直気が気じゃなかった。学校の近くで落とした指輪は見つかったのだが、そのあと折り返して帰るときになってもまだ実験の子は現れなかった。帰り方が違ったのかなぁと少し安心して帰っていたが、最悪な事態となってしまった。彼女と帰っている途中で実験の子が現れたのだ。実験の子は一人で、早足でぼくの後ろからあっという間に抜いていってしまった。その実験の子の下を向きながら進んでいた後姿はとても忘れられない光景である。最悪であった。ぼくが付き合っている女性といるところを実験の彼女に見られてしまったのだ。きっと実験の子はぼくが彼女いることを知っているんだろうが、なんだか秘密がばれた気がしてとても元気がなくなり、沈んだ。実験の子にだけはぼくが彼女といるとこを見られたくなかった。一応今までは意識し始めてからは見られていないはずだった。今日彼女に会っちゃったことや指輪を落としたことは本当についてないとしかいえない。その後した彼女とのキスは今までで一番味のないただの肌のふれあいのような感じであった。最悪としかいいようがない。

でも、もしこれで実験の彼女から避けられたりとかしたら彼女が実はぼくを意識していたことがわかるかもしれないし、バカすぎるぼくはちょっとそのあと実験の彼女がショックを受けていないかなと思ったりもしてしまう。化粧も来週はどうなってしまうのであろうか。気になる。今日はずっとそのことばかり考えている。実験の彼女のこと、実験の彼女と一緒にいたかもしれない実験班のほかの男のこと、彼女の化粧のこと、ぼくは実験の彼女にほれているのかもしれない。よくわからない。それでもやっぱり気になるという感情、近づきたいという感情は持っている。それの目的が何なのかはわからないけど、やっぱりもっと仲良くなりたい。今度実験のデータをわざと消してでも彼女と話す機会を設けてみようと思う。とにかく今後の彼女の化粧の様子が気になるところである。

すっごく気になる実験の彼女、今でもなんか考えてしまう。

2007年4月21日 (土)

人間のバカさ

人間は、いや、ぼくはバカである。つくずくそう思う。

最近のぼくのバカさといえば、すぐ人を好きになりかけることである。実験の班で、その中に唯一女性がいるのだが、今までその人の顔は見たことあったけど、話したこともないし、別にかわいいとも思わなかったし、普通にどこにでもいるような女の子だと思っていた。しかし、実験の班で一緒になって、なんか唯一の女の子だし、少しかわいそうで気になった。なんか少し話したりしたらより気になった。さらに言えば、ぼくはバカだからその子が自分のこと見てるような気がしてくるのだ。その子がもしかしたら自分のことちょっと気になっているんじゃないかって思ってしまう。バカだから。ぼくは彼女だっているし、それは周りにもよく知られていて恥ずかしい限りであるが、それでもなんかそんな気がしてくる。バカだから。そうして少し気になって心配しているうちに、その子の着ている服、その子のしぐさ、かわいく見えてくる。

あれ、この子こんなにかわいかったっけ。

って思えてくる。きっと、その子こそそんなぼくの視線に気づいたりして気持ち悪く思ったりするのだろう。ぼくはちなみにそんなにその子を見ているつもりはないし、そんなことないと思う。でも、ぼくはよく友達とかにがんみしすぎとか言われることあるし、気づかないうちに結構凝視してしまっていたりするかもしれない。そう思うと申し訳なくて気持ち悪くてたまらない。そして、ある事件が起こった。

ある授業が終わった後に、その子がぼくの名前を呼んで実験のレポートの質問をしてきたのだ。ただそれだけで、その質問のところはぼくはまだやっていなくて、会話はひとことふたことであった。なんか突然だったしあんま話したことない女の子と話すのは得意じゃないし、全然うまく話せなかった。

そのことをきっかけによりその子のことが気になってしまった。まず、その会話の後悔をした。何であの時どこがわからないのとか、やってなくてもいろいろレポートについて話せることあっただろうし、もしかしたらそこやったらメールするよとかでメアド交換とかがあったかもしれないし、本当に後悔した。そしてその夜、とりあえずその聞かれたレポートのところをやった。そして、明日はぼくから話しかけていろいろ話そうと思っていた。どうやって話しかけたらいいとか、どうやって話したらいいとか、空想の中でいろいろ浮かべて考えていた。結局、その次ぎの日にその子は授業をとっていなかったらしく、話しかけられることはなかったが、それがまたその子が気になる要素となった。

ぼくは別に彼女もいるし、彼女と別れようと思っているわけでもないし、その実験の子とどうかなりたいわけでもない。でも妄想の中では、その実験の子に略奪的なことをされてその子と付き合ったりしていろいろ起こったら・・とか考えたりもするわけで、実際ぼくはどうなのかわからない。でも、ぼくは情けない人間だから無難なほうしか選べないしその子とどうかなるはずがない。というかその子がまずぼくのことに対して何にも思っていないだろう。思っているはずがない。そんなのはわかっている。でもぼくはバカだから期待しちゃったりとかいろいろ考えてしまう。ぼくはバカだから。

それでも、なんか気になってしまう。気が付くとその子のこと考えたりしてる。今度の実験の時には話しかけてみようとか、そのときの話す内容を考えたりとかしてる。つまり、ぼくは知らない女の子と少し話すだけでその子が気になってしまうというバカな人間なんだ。前にも、バイト先の女の子がバイトのほかの子からアドレス聞きましたとかメール送ってきて、それだけでその女の子のこと気になっちゃって今まで言ったことのなかった飲み会とかも参加してみたりして勝手に好きになりかけたことがあった。その子は結局バイトのほかの先輩が好きってことを察して勝手に振られた気分になって悲しくなった。とにかくぼくはそんな情けない妄想のきもいバカなのである。

とりあえず、ぼくは実験の子と普通に話せるように友達になりたいと思う。普通に実験についてメールしたりとか普通に会ったらあいさつしたりとか、そんなことだけでもできるようになったらうれしい。なんだか今はその子が気になって仕方ないけど、とりあえず友達になれるようにがんばってみる。そしたら本当に好きになってしまったらどうしよう。それはわからない。ぼくはとりあえず先のことをバカみたいに考えすぎだ。話しかけることだってできるかわからないのに。ぼくはバカすぎる。

ぼくはバカすぎる。

2007年2月12日 (月)

将来

将来、ぼくは一体どうなっているのだろうか。

将来、ぼくは一体どんな人になっているのだろうか。

先を見るのが怖い。先に進むのが怖い。ぼくはだめだから、人と話すのが苦手だし、自分の意見とか持てないし、自分の感情とか出せないし、すごく人目を気にして何もできないし、平気で嘘だってつく。どんなに人の考え方が間違ってるって思ったって、どんなに自分に不利な状況になったって、どうせぼくは何も言えやしない。自分が我慢して、自分が負担すればそれですむことだから。ちょっと相手が怒ってそれに納得いかなくたって、どうせぼくは何も言えやしない。すぐに謝るんだ。ぼくが悪い、ごめんといっておけば住むことだから。ぼくは我慢強いのかもしれない。でもそれはただのだめだめだと思う。臆病なだけだと思う。すべてが怖いだけだと思う。なんだか何にもできないんだ。人の顔色とかばっかり考えてるくせに人を傷付けてしまったりしちゃう。結局ぼくはただのわからずやなんだと思う。ただ、怖いだけ。逃げてるだけ。嫌なことから逃げているだけ。

こんな自分が、将来一体何をしてるというのだろうか。そんなの考えたくない。ぼくはやりたいことが見つからない。見つかれば少しは積極的になれるかもしれないが、やりたいことはいまいちない。ぼくは勉強は結構好きだから、学校はさぼらず行くし授業もちゃんと受けて成績もとる。しかし、ぼくの勉強は何も身にならず、ただの自己満足だ。テストでいい点を取ることだけが生きがいみたいなもんだ。勉強はすればするほど報われる唯一のものだと思う。テストだったらいい点取ろうと思って真剣に勉強すれば誰だっていい点取れると思う。でもそんな勉強全然意味がない。将来の役に立たない。今自分が勉強していることですごく興味のあることに出会えると思ってやっているが、なかなかだめである。一瞬興味を持つことができた建築分野も、自分の才能のなさに絶望した。なんだか自分の情けなさに改めて気づかされた。まず、ぼくはプレゼン能力がまるでない。人前で話すことができない。何も伝えられない。そんなのでクリエイティブな仕事ができるはずがないのだ。かといって、営業などの、人付き合いが一番みたいな仕事はぼくはできる気がしない。人が怖すぎる。こんなぼくが、逃げてるだけのぼくが、一体どんなことをしているのだろうか。結局いつものように親に言われたことをして、親が進めたことをするのだろうか。いつまでぼくはこんなにだめだめなのだろうか。いつまでぼくはこんな情けないのだろうか。将来が怖い。死ぬために生きている自分が嫌い。怖い。

人生が怖い。

2007年1月10日 (水)

人を好きになる

人を好きになるって、どんなものだろうか。

人はどうしても必ず人を好きになってしまう。何かの拍子で人を好きになってしまう。

一度好きになったら、もうその人しか見えなくなる。どうにかして会おうとしたり、どうにかして話そうとしたり。バカだからわざと騒いだりして、バカみたいなことしてその人に存在を知ってもらおうとしたり。それこそ人を好きになったとき初めて気づく自分の一面があったりする。その人が自分をどう思っているのか気になるから、自分のことちゃんと見ようとする。自分の情けなさを知ったり、自分のダメさを悲しんだり。本当に人を好きになってしまうと自分のことが嫌いになる。そしてどんどん自分に自信がなくなっていくんだ。

人を好きになるのはどのような瞬間なのだろう。あるときは一目見た瞬間に好きになるパターンだ。小さいときはこのような一目ぼればっかりだっただろう。その場合は完全に人を好きになる対象を顔で選んでいる。他にも、合コンなどは顔で選ぶパターンだろう。だからといって、きっと本当に好きになったらその人の性格とかもよく見えてしまうと思うし、何でも許せちゃうかもしれない。そしてもう一方は、じっくりお互いを見てから好きになっていくタイプだ。あるとき、気づいたりする。俺はあいつのこと好きだって。いつも気づけば君がぼくの隣にいたって。実はすごいいいやつだって。きっかけはさまざまであるだろうが、人を好きになる気持ちに変わりはない。たぶん、それだけ熱くなって、それだけいろんな思いをめぐらせ、そして最後にはいろんな形で冷めたに違いない。

人を好きになるという人間の本能はすごいものだ。人を好きになれば、必ず傷つく。必ず自分が嫌になる。いろいろな面で成長する。そして、必ず一つの恋が終わったときには思う、もう二度と人なんて好きにならない。

それでも人は、また新しい恋をする。人を好きになるあの感情は、何にも変えられない。

そもそも、人間は何故人を好きになるのだろうか。本能的に言えば、それは子孫を残すためであろう。でも、人間のそれはなんか違う気がする。人を好きになって、人はその好きになった人に何を求めるのだろう。確かに本能的に相手にも自分のこと好きになってほしいと願う。どうにかして自分を知ってもらおうとする。でもそれはその人と付き合いたいからなのだろうか、付き合って、その人と子作りをしたいからなのだろうか。何か違う気がする。よくわからない。相手に幸せになってほしいと願うのだって、それは恋というものではないのだろうか。それだって、すごく人を好きになって、その結果抱かれる感情ではないだろうか。それは臆病というのだろうか。恋は、人を好きになるっていうのは、もっといろんないろんな感情が絡み合ってできている気がする。

人を好きになる。それは人間にとってやめることのできない感情である。でもその好きになり方は、人それぞれである。人間の、人生の最大の思い出で、最大の苦悩、苦痛である。また、最大の喜びである。

2006年8月16日 (水)

死へ

死へ、ぼくたちは刻一刻と向かっている。

誰だってそうだ。みな死へ向かって生きているのだ。自分の死に、また1分近づいていく。

こう考えると、ぼくたちはなぜ生きているのだろうかと、疑問に思うわけだ。人はどうせいつかは死ぬ。別にどうせ死んじゃうんだし、一生懸命生きたってしょうがない。生きている意味など別にない。人間はいつか来る死を待っているだけ。

しかし、人間には感情がある。喜びがある。悲しみがある。怒りがある。…痛みがある。苦しみがある。そりゃ死ぬのは痛く苦しいし、怖い。みなその痛みや苦しみに怯えて生きている。確かにそうだ。でも、そんなことではない。人間は、きっと人のために生きているのだろう。人を喜ばせるため。人を悲しませないため。ぼくが死ねば、少なくとも1、2人は悲しむ人がいるだろう。その人に辛い思いをしてほしくない。そう思うと死ねなかったりする。でも、ぼくはそれがからまわりしていく。ぼくは、人を怒らせないためなら平気で嘘だってつくし、自分の感情を抑える。ぼくはそうやってまわりのひとばかり気にして何にもできやしないのだ。こうやって、自分を正当化し、自分に殻を作り、そこから出ようとしない。つまり逃げているだけである。

死へ、ぼくは刻一刻と向かっている。

自ら命を絶つことなんてできない。そんな勇気もない。それでもぼくは死へ、また1分近づいていく。

人は、死ぬために生きている。

2006年8月 6日 (日)

旅路

旅路

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

叶わぬものに失望し

ありふれたことに絶望する

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

この世に生まれることを

いつしか後悔するのかな

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

愛なんてものにすがり

また傷が一つ増えるんだ

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

夢なんてものに頼ろうと

見つけようと必死にもがき苦しむ

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

何を生きがいにすればよいのか

何を希望にすればよいのか

すべてに負けないように

周りに牙ばかりむいて

人から避けられるようになる

いつになれば

いつになればぼくは大人になれるのか

どんな風に

どんな風にぼくは大人になるのだろうか

あぁ、何もない

この旅路で得るものは何もない

旅は孤独で

その旅を知るものは自分だけ

旅は苦で

その旅はいつまでも苦しい

旅で築いたものは絶望と落胆

ちょっとした喜びや希望は

思い出の中で美化されるだけ

旅を共に進む人はいない

旅を共有する人はいても

同じ道を歩くことはない

でもさ

それでも旅って捨てられない

それでも旅でいろんな経験をする

いろんな人に恋をする

恋なんて傷つくだけ

それでも人を愛することをやめない

子供を生んだら

その子にも自分のような辛い旅を歩ませる

それでも人は子を作る

子を自分の私利私欲で扱おうとする

希望をもつのをやめない

生きるのをやめない

人間の本能は

人間を追い込む

人間を孤独にさせる

人間を苦にする

旅路は

いつも規則的で

いつも排他的で

それでいて

分かれ道が多く

事件が多い

旅路に表れる数々の人間たちは

ぼくの旅路をあざ笑うかのように通り過ぎていく

そしてぼくも

出会う人々の旅路を荒らす

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

意外と捨てたもんじゃない

ぼくの旅路にゴールはまだまだ見えない

2006年8月 4日 (金)

人生って

人生って一体なんなんだろうか。生きることって一体何なんだろうか。

ぼくにとって人生は、とても辛く厳しいものだ。それでいて、ぼくにとってはたったひとつでかけがえのないもの。ぼくは人生に希望がない。夢もない。あるのは絶望だけだ。いや、本当はそんなことないのかもしれない。自分でもよくわからない。ぼくは自分が自分を嫌いで、とてもネガティブで、そんな自分が実は意外と好きなのかもしれない。そんなわけのわからないところで自分のかっこよさを見出してしまっているのかもしれない。ぼくにはわからない。生きるってことが。心から笑うってことが。気を使って、周りに合わせて、無難に生きることしかできないや。

2006年4月 5日 (水)

好きな人(後編)

ぼくはその後、彼女ができた。その子は文化祭で知り合った子で、メールをし、一回遊んだ後、ぼくはまたメールで告白をした。今回の場合は、最初からよい感じで、クリスマスまでに恋人を作るみたいなお互いそんなノリで、こんなぼくでも、メールの告白でも、付き合うことができた。ぼくはその子を本当に好きになった。しかしそれは、文化祭のナンパから始まったことで、ほとんどお互い知らないまま、まず付き合うことから始めるという感じのものであった。そしてそれはたぶんぼくが彼女にやろうとしたこととも同じなのであろう。彼女に対する場合はもっと最悪だ。でも、彼女の場合とは違うものがあった。それはその子もぼくに好意をもっていたということもあるだろう。クリスマスも近づき、まわりも付き合ったりとかがあったりもしていたということもあるだろう。何かが違ったのだ。そして、そんな付き合いが長続きするはずはなかった。ぼくはやっぱり何にもわかっていなかった。女の人と付き合うということ、女の人をおもてなすということ。女の人に気持ちを伝えるということ。ぼくは本気だった。本気でその子が好きだったし、本気でずっと長続きさせていこうと思っていた。でもぼくは、彼女の名前を呼ぶことさえできなかった。ぼくは勇気もなにもない本当に情けないカスである。そして、ぼくは優柔不断っぷりを発揮してしまい、どこで遊ぶかが全く決められず、完全にその子に嫌われ、クリスマスを含む2回のデートとだけであっさりふられてしまった。そのあとのぼくの落ち込みようは半端じゃなかった。自己嫌悪はさらに増した。どんどん自分が嫌いになっていった。情けない自分。優柔不断な自分。ぼくは自分が大嫌いだ。そんな冬休みだけの新しい恋は終わり、また、毎朝改札で彼女を目にすることとなった。忘れることができそうだった彼女への思いは、また元に戻ってしまった。おちにおちていた自分は、朝彼女の笑顔を見ることだけが唯一の救いであった。再び彼女はぼくの中で美化された。彼女はいろんな男と知り合いだったので、彼女はよくメアドを変えた。本当の真意はわからないがきっとそうだ。だが、ほとんど彼女と連絡を取る場を失っていたぼくは、そのアドレス変えましたメールで久々に連絡を取ることができた。自己嫌悪のかたまりであったぼくを彼女は優しく癒してくれた。そうして、ぼくは彼女のことをずっとずっとただ思い続けながら、朝改札で彼女を見ることだけをいきがいに生活を続けた。ぼくは彼女に逃げていただけかもしれない。彼女がぼくの唯一の現実逃避であったのかもしれない。彼女のことをぼくの中で美化し、想像の中の物語で彼女と付き合ったり、彼女を汚したりもした。ぼくは、きっと本当に最低な人間なのだろう。時々ぼくは彼女にそんな嫌悪感から、彼女への大好きな気持ちから、何度か気持ち悪い長いメールを送ったりした。ぼくは本当にたくさん彼女に迷惑をかけたのだ。それでも彼女はそんなことないよとか優しくメール返してくれた。ぼくは彼女が本当に好きだったんだ。

高校2年生の夏ごろになると、ぼくは部活に真剣になり始めた。女の子と付き合ったりするのはぼくには無理だと思った。ぼくと付き合う女の人がかわいそうだと思った。ぼくは女の子の高校生活から、部活の高校生活に変えたのだ。今まではいろんな紹介とかもやったし、合コンとかも行ったがそんなこともなくなり、部活一筋になった。そんなころ、彼女は朝改札で友達を待っているときに単語を勉強するようになった。いつも男子校のぼくたちに笑顔振りまいてた彼女が、単語を勉強するようになっていた。彼女は行きたい大学があった。1年の頃から塾に通っていたのは少しのメールで知っていた。そして彼女の夢はカウンセラーであることも知った。メアドを変えたり、なんかの機会で彼女とメールするときそんな話をしたのだ。ぼくは部活、彼女は受験、お互い没頭するものを見つけ、ぼくと彼女はメールでお互いを応援しあった。ぼくは彼女のことが大好きだったから、心から彼女を応援した。ぼくに対する言葉、ぼくに対する笑顔、それは嘘かもしれない。きっと彼女がどんな男にでもする嘘かもしれない。でも彼女の将来の夢は嘘じゃない。きっと嘘じゃない。ぼくは将来なりたいものというのがなかった。こんな勉強がしたいというものもなかった。だから、そんなぼくにとって夢を持ってる人はみんな尊敬するべき人だ。だからぼくは彼女を心から応援した。そして、彼女が勉強がんばってる姿を見るたびに心で彼女に頑張れって叫んでた。心の中で叫んでた。彼女がぼくにする応援は心からのものではないのだろう。でも、ぼくは彼女のそんな応援でも励みになった。がんばろうって気になれた。それからのぼくと彼女のメールは、いつも応援しあう内容になった。メールの始まりは違っても、結局最後はがんばれって言い合った。もちろん頻繁にしてたわけではないが、何かのきっかけで彼女とメールすることができると、応援したのだ。そうして、ぼくは毎朝彼女を見て、元気になって、彼女を応援して、そして部活をがんばる。そんな生活を続けることとなった。3年になるとぼくはいつの間にか部活で副将になった。本当に部活に没頭することができた。そしてもちろん彼女は受験勉強をがんばっていたことだろう。そうしてぼくは部活を引退するまで、彼女と話すこともなく、挨拶をすることもなく、もし帰りに彼女が一人でいて、ぼくも一人のときでも彼女を避け、彼女のことをただ遠くから見守り続けた。ぼくは何もできない。いざ話そうとすると、挨拶しようとすると、彼女から目を外し、うつむいたりした。彼女を避けるような行動も何度もした。ぼくは本当に情けないと思う。ダメダメすぎる。でも、ぼくには精一杯の思いだったんだ。ぼくには何もできなかったんだ。

部活の引退が近づいた、11月1日、ぼくはとうとう彼女を忘れる決心をした。彼女をあきらめて本当にもうメールしないと心に決めていかないと、このままずるずるいってしまう。彼女は改札にいつもいたから、忘れようにも忘れられないのだから、もうメールしないって心に決めるしかなかった。ぼくは11月1日、彼女にいつもよりも長く気持ち悪いメールを彼女に送った。彼女はぼくの部活を応援してくれていたから、まずその報告をした。そして、彼女の受験を応援した。たくさんたくさん応援した。そして今までのお礼をした。今までのお詫びをした。彼女に支えられた高校生活だったから、彼女がいなかったらぼくはもうこの世にいないんじゃないかってくらいの思いだったから、ぼくは彼女に何度もありがとうって言った。ぼくが彼女にかけた最後の大迷惑メールだ。そして彼女のメモリーも消した。そのメールは彼女にすべて届かなかった。長すぎたせいで、途中で途切れてしまったのだ。だけど、ぼくは彼女に続きを送らなかった。もう彼女にメールを送らないって決めたのだから。これで続きを送ったらまた彼女から離れられないって思ったから。彼女に続きを送らなかった。それなのに彼女は本当に本当に優しかった。そのメールを送った3日後くらいに、続き送ってくれなくて寂しいけど、お疲れ様って、とてもかわいく、とても優しいメールを送ってくれた。ぼくは泣いてしまった。もちろんそのメールを返信することはなかった。だけどぼくは彼女のそんな言葉に、嘘かもしれないそんな言葉に、再び元気づけられてしまったのだった。それから卒業まで、ぼくはもちろん彼女に一度もメールしなかったし、彼女からメールがくることもなかったが、結局改札にいる彼女を忘れることはできなかった。メールはしなくても、やはり彼女を見ることで元気付けられ、心の中で彼女に声援を送った。一つ、彼女が受験のときにがんばれってメールできなかったのが残念だ。結局、彼女は受験うまくいったのだろうか、その後どうしているのだろうか、全くわからない。また大学で悪女っぷりを発揮しているかもしれない。いろんな男たぶらかしているかもしれない。でもぼくは今でも彼女はそんな悪女じゃない、魔性の女なんかじゃないって信じている。受験に、自分の夢にひたむきに取り組んだ彼女は本物だ。彼女はきっと本当に優しく、あったかい人なんだ。

彼女はぼくのことどう思っていたのだろうか。彼女はぼくの気持ち悪い行動や言動をどのように感じていたのだろうか。彼女に会わなくなって1年、ぼくは今でも時々彼女のことを思い返す。実はぼくと彼女は2回しか話したことがないんだ。本当だったら、高校1年のときの失敗の思い出としてすぐに忘れるはずだったんだ。それなのに、ぼくは彼女のことを3年間ずっと思い続けた。どうして忘れられなかったのだろう。彼女が朝いつも改札にいたからだろうか。とにかく彼女が大好きだった。ただ、好きだった。こんなに情けない恋はあるのだろうか。ただ朝見てるだけ。彼女は芸能人なわけでもないし、彼女と連絡を取ることだってできた。でもぼくは2年半彼女を見てるだけだった。バカだ。情けない。でもぼくの大切な思い出である。彼女はぼくの大切な人である。彼女の顔は思い出せない。思い出せたことがない。ぼくは彼女が好きだから。好きな人の顔は思い出せないから。ぼくは彼女に幸せになってほしい。彼女にカウンセラーになってほしい。彼女はすごくいい人と結婚して、すごくかわいい子供を生んでほしい。彼女ならきっとすばらしい家庭を築けるはずだと思うし。彼女ならきっと幸せになれる。ぼくはどうなったっていい。彼女には幸せになってほしい。ぼくよりも幸せになってほしい。それでもどこかでまだ期待している。どこかで偶然彼女に会って、彼女と付き合って、そんな絶対にありえないことを期待したりもする。時々思う、もしあの時あんな簡単なノリでメールなんかで告ったりしなければ、もしかしたらもっとよい関係になれたかもしれないのに…もう彼女と一生会うことはないのだろう。でも、ぼくは彼女を忘れない。

彼女と話した回数、2回。時々メールするだけの変な関係。一体なんなんだっていう関係。そんなぼくが高校3年間ずっと好きだった女性である。

2006年4月 4日 (火)

好きな人(前編)

高校時代、ずっと忘れられなかった人がいた。

はじめの出会いは、高校1年の5月ごろ、たまたま電車の帰りに彼女を見たのだ。彼女は、かわいかった。ぼくは今までは基本的に顔で判断するし、男子校にいたため、あの子かわいくねみたいなノリになる。もちろんぼくと彼女は見知らぬあかの他人で、遠くから小声で話していただけである。そして、その帰り、ぼくと彼女はたまたま帰りの方向(乗り換える電車)が一緒だったのだ。ぼくも彼女も友達と別れ、一人になった。ぼくはもちろんその人を意識したが、さすがにきもいので、離れていた。しかし、ここで奇跡が起きたのであった。乗った電車で、彼女と隣に座ったのである。ぼくははっと運命を感じてしまった。まず、さっきまで一緒だった友達にメール送った。そしてぼくは気持ち悪いので、彼女の携帯を覗いたのだった。すると、なんと彼女は出会い系のようなことをやっていた。何をやっていたのかはわからない。とにかく彼女はメールで自分の名前、性格などを打って送っていた。そして、その相手は確実に彼氏ではないメールのやりとりであったのだ。今思い返すとぼくはきもすぎる。人のメールを覗いていたのだから。だけど、ぼくは彼女の名前を知ってしまった。そしてこのドラマのような偶然が、運命を感じずにはいられなかった。一度も話したことないのに、名前だけ知ってどんな人なのか何にもわからないのに、一瞬にして好きになってしまった。友達にメールで声かけちゃえとか言われたが、もちろん小心者のぼくにそんなことができるはずもなく、心に彼女が突き刺さったまま、彼女は先に電車を降りた。

それから、まず電車で行き一緒にならないかなとか帰り一緒にならないかなとかいろいろ偶然を求めていたが、会えず、ただ顔もあまり覚えていない名前だけ知っている人が心の中で美化され、顔も想像の中でどんどんかわいくなり、ぼくの大好きな妄想ストーリーで自分と彼女が付き合う物語を勝手に作ったりして、もはや架空の芸能人のように、勝手に好きになっていった。出会い系をやっていたことが時々気にかかりながらも、何故だかすごく好きになった。1ヶ月ほど経って、友達と帰るとき、ついに彼女に再び出会えることができた。彼女はあまりに美化されすぎていたため、本人かもよくわからないようなあやふやな状態であったが彼女であった。そして、ぼくの心はドキドキしていた。彼女の運命的な出会いの話は、友達にしていたため、あれが○○だって言っていた。そして、突然友達が彼女に声をかけたのだった。「すいません、○○さんですか?」彼女は驚いていたがはいと答え、友達は、ぼくがマジほれてますみたいなことを言い、微妙な空気のままぼくと彼女、そして帰りが同じ方向のぼくの友達と3人で帰ることになった。まず彼女はもちろん何故自分の名前を知っていたのかを聞いた。もちろん彼女の携帯覗いたなんて言えないので、ごまかしたが、あきらかに空気が重かった。でも、彼女は意外に仲良くしてくれて、逃げたりすることなく、一緒に帰ってくれたし、携帯番号も交換してくれた。やはり彼女は男慣れしていて、出会い系とかもやっていたのであろうか…。彼女に声をかけたのも友達、携帯番号の交換を促したのも友達で、ぼくはやっぱりカスな人間だとつくづく思う。その日は、ぼくは舞い上がって何を話したかはあまり覚えていない。とにかく言えることは、きっとぼくはきもかったということだ。こうして、ぼくと彼女は、面識を持ち、ぼくの一方的な恋から、片思いに変わった。

その日の晩、ぼくは早速メールした。彼女は優しく応対してくれた。とにかくぼくは、恋とか常識とか、人間関係とか、まだ何にもわかっていない気持ち悪いバカだった。次の日、なんと朝彼女と電車が一緒になった。そして、登りのエスカレーターが前後になった。それなのに、ぼくは完全に意気地なしの勇気のないカスで、彼女に話しかけることができなかった。ぼくはただのカスである。その夜に気づかなかったふりをしてエスカレーター前後だったのに気づかなかったってメールをして、ぼくは完全にカスであった。彼女がぼくを好きになるはずがなかった。それからは、彼女が朝学校に行く時間を知り、彼女に会うことが多くなったが、ぼくは彼女にあいさつさえできず、そのたびにメール送ったりして、ぼくは完全にダメ人間だった。こうしてぼくと彼女は会話することはほとんどなく、たまにぼくからメールを送るようなそんな関係になった。彼女のメールはかわいく、そして時に思わせぶりな発言があったりして、あの頃のぼくは少しメールして、時々挨拶ができるようになっただけで勝手に舞い上がり、どんどんどんどん大好きになっていったのであった。ある日、渋谷で偶然会った時があった。とは言ってもぼくは気づかなかったのであるが、彼女からいきなりメールが来て、いきなりいいわけのようなメールだった。彼女は男と一緒にいたらしく、彼は彼氏とかじゃないからみたいなメールであった。ぼくはなんだかあせってぼくに弁解してくれてすごくうれしかった。それでも彼女は男と会っていたんだ…。ぼくの舞い上がりはどんどん増して行き、良いことばかりが目に映るようになり、冷静に彼女を見たり、冷静に状況を考えることができなかった。ただ彼女が好きだった。彼女を花火に誘ったこともあった。もちろん友達と行くからと断られたし、それ以外にも、遊ぼうねとは言いながらぼくも強引にいけず、結局遊べぬままであった。

ある日、友達に彼女のことで冷やかされ、携帯をとられ、友達が彼女に電話した。その時は留守電で、友達は留守電にメッセージまでいれたのだった。最悪だった。そして、さらに最悪なことに彼女がかけなおしてきたのだった。その電話も友達にとられ、本当に最悪な事態になったが、その後少し電話で話せたし、弁解メールではありながらも彼女とメールができてうれしくなっちゃう自分もいた。その後、その友達に告れ告れといわれた。ぼくは中学の頃は意外にもてたし、彼女も思わせぶりな態度をとっていたから、もしかしたら付き合えるのじゃないかと思ってしまい、完全にノリで、しかも心が性格に決まっていないまま、半分マジでメールでいきなり「ぼくはあなたのことが好きです。付き合ってください。」と言ってしまったのだ。ぼくはバカである。ダメ人間である。まだ1回しか話したことがないのに、あまりお互いよく知りもしないのに、ノリのようなマジで電話でもなく、もちろん直接でもなく、気持ちの伝わらないメールで告白してしまったのだ。その後の後悔といえば半端じゃなかった。案の定彼女はその返信をしてはくれず、ぼくと一緒に携帯番号を聞いた友達がメール返してあげてなんてメールを彼女に送ったりして、とてつもなく中途半端な、史上最低な告白をしてしまった。3日後、彼女からメールが返ってきた。もちろんお断りのメールであったが、3日後に返してきた割にとても誠意があり、あきらめられないような返しであった。ぼくは完全に彼女にほれていたので、彼女の真意など考えず、彼女の本性など考えず、ぼくは彼女を忘れることができなかった。ふられたにもかかわらずまだまだずっとずっと大好きだった。そして、ぼくの後悔、自己嫌悪は激しくなった。ぼくの行動、言葉、いろいろ思い返し自分のバカさ、情けなさが存分にわかった。ぼくはどうしてこんなにカスなんだろうか、ぼくは生きる価値なんてないんだ。

彼女はぼくと学校が同じ駅だった。いつしか彼女は、その駅の改札で友達を待つようになった。ほとんどいつも改札にいたので、ぼくは毎朝彼女を目にすることになった。もちろん行きの電車を合わせようとしたり、メールが来るたびにもしかしたら彼女からかなと期待したりしていた。さすがにぼくが彼女にメールを送ることはほとんどなくなった(0ではない)が、彼女への思いは変わらなかった。もし電車で彼女と同じ車両になっても、ぼくはもちろん何もできない。話しかけることもできない。ただ気づかないふりをするだけで、気持ち悪くちらちら彼女を見るだけである。同じ車両になったら逆に気まずい。でもそれでも彼女と同じ車両にしようとしたりするのはやめなかった。やっぱり彼女が好きだった。そして毎朝改札で彼女を見られるのがぼくの朝の元気のもとだった。彼女が改札にいないときは彼女何かあったのかなとか心配したし、見られなくて寂しかった。でも、ぼくは次の恋に踏み出すためにも彼女のことを忘れたかった。またぼくが彼女に迷惑ばかりかけていたことを謝りたかった。だから、いろいろごめんなさい、きもくてごめんなさい、もうメール送りませんなどと長々としたメールを彼女に送った。しかし、彼女のメールの返信はとても優しく、ぼくはいい人だの全然気にしないでだのして、結局メール送らないことはできず、彼女を忘れることができなかった。そして結局毎朝改札で見る彼女をいつも目で追いながら、気持ち悪いことを続けていた。

秋になると、ぼくの学校の文化祭があった。ぼくの学校は有名な男子校で、文化祭となると女の子が1万とかいっぱい来る。ナンパ祭である。ぼくも女の子に声をかけ、携帯番号を聞いたりした。大いに楽しんだ。2日目、彼女が来た。ぼくは正直ずっと彼女が来るのを待っていた。ぼくは部活でお店を出していたのでそれの勧誘がてら女の子と話すようなことをしていたので、勇気をふりしぼって彼女を店に誘った。その前部活の仲間が彼女を誘ったけど入ってくれなかったと聞いていたので、入ってきてくれてうれしかった。そして、ぼくは2回目の彼女と話す機会を得たのだった。彼女はその昨日誕生日であることを知り、ドーナツのプレゼントをしたりして、文化祭でテンションがおかしかったりしたのもあり、普通に話せた。頭おかしかった。しかし、邪魔者が入った。ぼくと友達と彼女と彼女の友達で話していた席に、ちょっと不良のやなやつが邪魔してきた。そいつが彼女と話し、そいつは彼女に携帯番号まで聞きだし、それから、やはり彼女はかわいいから、いろんな人がその席に来て、彼女に携帯番号を聞いたりして、ぼくはすごく不愉快になった。彼女をとられてしまった。でも、ぼくは彼女と話せてすごくうれしかった、また、気まずい変な緊張もあり、本当におかしくなって、その後よりナンパするようになった。しかし、彼女が誰にでも携帯番号を教える姿を見て、彼女の本性が少し見えてきた気がした。聞くところによると、彼女はぼくの学校に知り合いは結構いるらしい。最初彼女を見たときは、出会い系をやっていた。渋谷で男と遊んでいた。ぼくへの態度が思わせぶりだった。なんだか嘘っぽいようなメールが多かった。…そう、たぶん彼女は男遊びをしているようなそんな子なんだ。魔性の女だ。そんな気がした。確証はないがたぶんそうだろう。その後ぼくの学校で少しそんな噂もあったし、きっとそうなのだろう。…でも、だからといってぼくは彼女に怒りを抱いたり恨んだり、嫌いになったりしてはいない。まだ好きだった。朝改札で彼女を見るたびに、ドキッとした。そして、どこかで、彼女はそんな女じゃない、本当に優しくて嘘なんてつかない、本当にいい人なんだ。って信じていた。信じようとしていた。また、悪女でもかまわないとも思った。何故だかわからないけど、ぼくの彼女への思いは変わらなかった。毎朝彼女を見ているのに顔は思い出せない、これはぼくが好きな人に抱くことだ。彼女とはあまり話したこともなかったしし、想像の中で彼女はどんどん美化されていった。だからからかもしれない。何故だか好きだった。ただ、好きだった。

2006年3月31日 (金)

一年前

ぼくはあと少しで大学生になる。

大学生というものにいろんな希望もあればいろんな不安もある。悲観的なぼくにはむしろ不安だらけだ。大学で何かを得ることが出来るのだろうか。本当に自分のやりたいことが見つかるのだろうか。また、ただなんとなくで4年が過ぎ去ってしまうのだろうか。サークルはどうしよう。選択科目はどうしよう。バイトはどうしよう。考えるだけで辛くなる。

大学が今までと違うのは、女がいることである。だからやっと服に興味を持つようになった。少しはいい格好しなきゃなって思うようになった。でもきっと恋はまたぼくの心を弱くするのだろう。どうせ告白なんてできない。いつまでも子供みたいにからかったりするくらいしかできないだろう。もしくは遠くで見てるだけとか。どうせ顔で選んで一目惚れなんだろう。きっとどんどん自分のことが嫌いになるんだろう。これ以上嫌いになったらもうどうなってしまうのだろう。でも、どっかでそんな自分がかっこいいと思っている自分もいるんだ。勇気のないやつは、優柔不断のやつは一番ダメなやつだとわかっていながらも、そんな自分に何らかのいいわけをしたり、何かを心に言い聞かせたりして、自分を正当化しようとしている。

ぼくと似たように自分のことが嫌いな人がいる。でもそいつはやるときはやるし、生きることに絶望してはいないようだ。彼は人に嫌われたくないと思っている。そして彼は人が好きだ。自分は何も出来ないやつだから、気を遣って嫌われまいとがんばっているんだと思う。時には偽善者と思われるときもあるけど、彼は本当に心からいい人なんだ。それはどんな人にも伝わる。だから彼は女にももてるし、彼を嫌いな人はきっといないと思う。彼は何もできないやつなんかじゃない。バンドだってやっててめちゃくちゃかっこいいし、何より人が好きで平和を求め、世界で一番優しいやつなんだ。ぼくは彼を尊敬する。彼のためなら死んでもいいかなって思える。この気持ちはもちろん愛情ではない。そして友情ともちょっと違う気がする。この気持ちを彼に知ってもらいたい。彼に自信を持って欲しいと願っている。ぼくがどんだけ彼に自信を持てと言ったって、彼はそうはならないだろう。それは自分のことを考えればわかることだ。ぼくだって誰かにいくらほめられても、そうなのかな、俺って結構世の中に必要とされているのかななんて思えない。君はぼくの本性を知らない。ぼくがどれだけ臆病者か知らない。って、ただそう思うだけなんだ。でもきっと彼はそこまで重傷じゃないから、そうなる前にももっと自信を持って欲しい。ぼくが彼に自信持てって言った時、彼は少し感動したと言ってくれた。本当に彼はいいやつだ。ぼくは彼のようになりたい。彼はぼくなんかと一緒にするなって思うかもしれない。こんな文見たら怒られちゃうかもしれない。勝手にわかったようなこと言うなって怒られちゃうかもしれない。それでもぼくは彼のようになりたい。

ぼくは臆病者だ。そして小心者だ。犯罪なんて出来るはずない。人に電話すらできない。お金もいっきにいっぱい使うことなんてできないし、自分の気持ちを貫き通すことだってできない。知らない人とは全く話せない。声の大きさも全然変わってしまう。何事にも勇気がない。すぐ投げやりになる。そしてかなりの優柔不断。気が小さい。はめをはずせない。さぼることもできない。空想の中でしか生きられない。死が希望。情けない。弱い。

さらにひどいことに、このようなことがわかっていて直そうとしない。それでいて意外と自分に自信がある。最悪だ。生きる価値なんて、全くない。恋をする資格も、ぼくにはない。

大学生活。いったい何が起こるのだろう。どんな人に出会うのだろう。少しは大人になれるだろうか。自分のことを少しは好きになれるだろうか…

2006年3月22日 (水)

・・・。

死のっか。そんな言葉が頭の中で今日も呼びかける。まぁ、無理だけどね。めちゃくちゃ恐いけどね。きっと地震とかが起きたら、がんばって逃げたりしちゃうんだろうな。いつも事故に巻き込まれたりしないかなとか考えてるけど、そう自分の身の回りに起こるものじゃない。なんだかんだで結局普通の人より生きてそうな気がする。憎まれっ子世にはばかる。したいって思えば思うほどそのことはできないものだし。きっと自分が今こんなにはなりたくない、こんなにまで生きたくないと思っている人にいつか自分もなるのかなと思うとなんかやってらんないな。あと何年すればこんなこと考えていた自分を笑えるように、笑って話せるようになるんだろう。「死」この言葉が頭から離れるのはいつになるのだろう。夢がない今の自分には、死がただひとつの夢、希望になっている。死ぬために生きるなんて何の意味があるのだろう。生きることの何が楽しいのだろうか。人間はちょっと成長しすぎた気がする。いろんなこと考えすぎになる。いろんなことを知ってるせいでより辛くなる。こんな生活は無駄ではないのだろうか。ただ辛い思いをして、それなのに死は痛く、苦しいから、とても恐いから、生きていかなければならない。どうか、死なせて下さい。楽しいこと辛いこと、きっと一年で楽しいことが50日くらい、後の315日は辛いことのような気がする。日常に縛られ、何も変化のない生活をただ、ただ続けていく。そんな人間に現実逃避のアイテムはたくさんある。テレビの世界、ゲームの世界、音楽の世界、想像の世界、夢の世界、娯楽の場、それらの集大成が、死なのだ。死は永遠の現実逃避だ。確かに死後、自分がどのような状況に置かれるかなんて誰も知らない。もしかしたら死の世界の方がより辛い世の中なのかもしれない。そしたら、どうしよう。わからない。ちょっと、元気がなくなる。でもこれだけは言える。死の世界はぼくたちの希望だ。たとえそれがどんなものでも。その未知さがいい。どんな学問でも解明することのできない。死んでみなきゃわからない世界である。何にも考えなくてすむのだろうか。いやらしい人間の世界から離れることができるのだろうか。そうしてくれるとありがたい。より死に希望を持つことができる。一瞬の痛み、そこに踏み出す勇気。そんなものがぼくにあれば、きっと4、5年前にぼくはもうこの世にいないだろう。いつからこんなこと考えるようになったのだろう。いつから自分のこと嫌いになったのだろう。

こんなぼくはもうダメですか?

2006年3月10日 (金)

僕は常に死にたいと感じている。これといって何が原因というわけじゃないが、とにかく生きていくことがとても辛い。僕は物事をすべてマイナス思考に考えてしまう癖がある。ポジティブにいかなきゃって感じているのだけど、どこかでやはりマイナスな考えが浮かんでくる。僕は自分のことが大嫌いだ。特に自分の勇気のなさにはうんざりしている。女と付き合うときなどは特にそうで、その人の名前さえ呼ぶことが出来ない。もちろんキスしようなんて言えるはずもない。他人と話すのがとても苦手で、全然打ち解けることが出来ない。大したことないことにも緊張するし、それでいてめんどくさがりやで強がりだ。時には知ったかぶりとかしたりするし、ホントにダメダメなんだ。こういうことがわかっていて直さなきゃと思うのだけど、いざって時に直らない。気づいたらまたやっている。自分の嫌いなところはまだまだあるが、きりがないのでこの位にしておく。こんな自己嫌悪もあって、今は女と付き合うのが怖くなっている。男子校に三年間いたせいか女と話すのも怖くなってきている。一度彼女の前で優柔不断っぷりをはっきしたことがあって、それでおもいっきりふられた。そのこともあるせいか女と付き合ったらその彼女を傷つけてしまうのではないかと思ってしまう。

高校三年間ずっと好きだった女がいた。少しドラマチックな出会いだったせいかすごく運命を感じてしまって最初メールですぐ告ってふられ、それから想い続けたのである。何度忘れようと思ったことか… 一度他の女のことを好きになって付き合ったが、さっき述べたようにふられ、結局その人を忘れられずに今に至っている。その人と話したのはわずか二回。メールは結構いっぱいしたけど、面と向かって話したことは二回しかないのだ。電車の車両をわざと一緒にしようとしたりするが、いざ同じ車両になったら話し掛けることもできずに気づかないふりをしつつ見てるだけだ。でも、その頃の僕にとってそれは実らない恋だというのはわかっていたし、そうやってできるだけ長い時間その人を遠くから見ていればそれでよかった。

ある日、やっとその人にメきりをつけた。無理やりではあるし、まだどこかでその人を探している自分もいるが、アドレス帳は消したし、もう連絡は取れない。でも次の恋に踏み出せるのか不安である。女は結構顔で選ぶ僕だが、かわいい子がいても「かわいい、抱きしめたい」と思うがなんかピンと来ない。ずっと好きだったその人と、正確には自分の中で作り上げたその人の自分の理想の姿とどこかで比べてしまっているのかもしれない。きっとその理想の姿を超える本当の人はこの世にはいないだろう。僕は結婚はしないと決めた。子供があまり好きではない。自分も昔子供だったからなんとも言えないが、育てる自信もないし、なんとなくかわいがれそうにない。これは結婚相手にとっても言えるが、養っていく自信がない。結構孤独が好きだ。自分のしたいこと、恥ずかしいことが誰の目も気にせず出来るからである。だからおじいさんになったらずっと孤独で生きていき、いずれやってくる死を待ち望んでいようと思う。

人生って何なのかわからない。何のために生きているのかわからない。人生は良いことより嫌なことの方がはるかに多いと思う。今後のことを考えると憂鬱になる。将来どんな仕事をしているのだろうかと考えると本当にその日がやってくるのを拒む。死ぬために生きるのは結構辛い。おそらく一生がとても長く、今の自分に人生の終わりが全く見えないだけに、結構辛い。そんなに辛くて、自分のことが嫌いなら自殺しちゃえばって思うかもしれない。でもそれほどの勇気はどこにもないし、きっとそこまで悩んでいないのだろう。きっと今かかえているバカみたいな悩みも大人になったら笑って思い出せるようになるのだろう。今こういうことで悩むこと、それが青春というのかもしれない。僕はこの青春の悩みを絶対に忘れない。とにかく今は自分を好きになれるようにがんばりたい。どこかここだけは自信が持てるということを見つけたい。あと、何かやりたいこと、そのことを考えてれば1時間がすぐたってしまうようなことが見つかればいいなって思う。

死はそう簡単にやってくるものではない。死にたいなんて望んだってダメだ。前を向こう、上を向こう。できなくても常にそういう意識を持っておくしかないかな。

2006年3月 8日 (水)

2004年クリスマスイヴ

今日はクリスマス・イブ

この日はどの人にとっても特別な日

子供たちは眠い目をこすりながら夜中やってくるサンタクロースを待ちわびている。どんな人なのか期待しながら、ドキドキしながら結局眠りにつく。翌朝「今年もサンタさんに会えなかった」と嘆き悔やむことだろう。そしてまた来年会うことを夢見て良い子にしていようとその日くらいは思うのだろう。

恋人たちは1年に一度のこの聖なる夜を二人っきりで過ごす。その夜、二人の愛を確かめ合おうと、プレゼントを渡し合ったり、ロマンチックな場所でロマンチックなキスをしたりする。この日恋人たちはみなドラマの主役になった気分だろう。そして二人はその日、「もう絶対に離さない、ずっと一緒にいよう」と心に誓うだろう。

恋人がいなくて、独りでクリスマスの夜を過ごす人もいるだろう。彼らはさびしい独りのクリスマスと感じているかもしれない。でも、そんな人たちのためにテレビはいつも以上におもしろくなっていたりするし、クリスマスだからっておいしい料理が食べられるかもしれない。街に出れば、独りだって十分楽しめることがたくさんあるだろう。

しかし、そんなことも何もなく、ただいつもと変わらず仕事があって、クリスマスなんか関係ないって人が大半だろう。大人になるということは社会人になるということはそういうことなのだろう。

僕はまだ高校生。クリスマスだからって今日は一歩も外に出ないでテレビ見たり昼寝したりだったけど、クリスマス気分は満喫した。別にさびしいとは思わないし、彼女ほしいとも思わない。僕はただこの日がいつもの日常のただこなすだけの平凡な日でなければそれでいい。それがサンタさんを待ちわびる夜であっても、恋人と共に過ごすロマンチックな夜であっても、独りで過ごす夜であっても。とても楽しい夜であっても涙を流す日であっても…。僕はこれから大学、大学院、そして就職と長い長い人生を歩んでいく。そして独りで生活できるような財力を得て、‘大人’となるのだろう。僕は今親に子供扱いされるのがすごく嫌で、自分はもう立派な大人なんだって言い聞かせている。でもやっぱり僕はまだまだ子供だ。世の中のこと何にも知らない。ましてや独りで生活なんてできるわけない。

クリスマス・イブの夜、それは1年の中で最も美しく、騒がしい夜かもしれない。

街に出れば、イルミネーションが輝いている。どの店に入ってもクリスマスソングが流れ、サンタクロースの人形やそのほかにもさまざまなクリスマスにちなんだ物が置いてあったりする。クリスマスケーキが売られ、おもちゃの店もとてもにぎわっていて、プレゼント包装された品物を持つ人々が大勢いる。人々はみんな笑っている。幸せそうな顔をしている。

でも、これは表向きなクリスマスのイメージであって、実際に街に出なくてもこれくらいの情景は浮かんでくる。しかし、影ではクリスマスなんて関係なく必死になってお金を稼いでいる人たちがいる。確かにクリスマス・イブも他の普通の日も同じ1/365であるが、それはやっぱり同じ1日じゃないって信じたい。きっと彼らもクリスマス気分になりたいはずなんだ。クリスマスにしか出来ないいろんなことを心に秘めているはずなんだ。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんな毎日がやってくることを考え、そこで何を生きがいにやっていくのかを考えると涙が止まらなくなる。生きているのが辛くなる。大人になるのは辛いな…

その頃の僕の生きがいとは何なのだろう。自分の好きな仕事についているのならよいが、もしそうでなければどうなるのだろう。僕は結婚はしないと心に誓った。子供もほしくない。そんな僕にどんな生きがいができるのだろう。とにかく僕はクリスマスもないような人にはなりたくない。1年に5回くらいは特別な日がほしい。そうすればきっとその日を待ちわびながら今と同じように暮らしていけるだろう。日々それぞれに幸せを感じられるように、昨日と違う今日を、今日と違う明日を見つけられるように生きていこう。自殺するほどの勇気もない。がんばるしかない。人生、がんばれ!!

2004年12月24日 クリスマス・イブ 深夜

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