2008年3月27日 (木)

けんか

けんかなんて、相手の嫌なところを主張し合って、ずるくなって、実にくだらない。

でも、けんかをすることで、相手がどんな人なのかよくわかる。自分がどんな人なのか知ってもらえる。そして、けんかが終われば、もっと相手を好きになる。

佐々木夫妻の仁義なき戦いでそんなようなことを言っていた。ぼくは、そうやって、本気で人と向き合って、本気でけんかしたことなんて一度もない。友達同士でもない。そして、付き合うような女性となんて、けんかなんてありえない。相手を怒らせないように、相手を不機嫌にさせないように、そんなことばっか考えてる。いつもぼくはそうやって人と向き合っている。でも、けんかについてのその意見は実に正しい気がする。ぼくは、たぶん、ぼくの本当の部分は誰にもわかられていないと思う。それが本当の部分なのかはよくわからないけど、一人でいるときにしかない自分の部分は、誰にも見せたことがない。そして、どうしてもそんな部分が陰となって、相手には映るのかもしれない。

美容院の彼女へ。もしあなたとこれからまだお会いする機会があったとしたら、きっとそうやって接してしまうでしょう。あなたのことが好きだから、なおさらそう接してしまうと思う。でも、あなたにはぼくのすべてを知ってほしいし、ぼくはあなたのすべてを知りたい。正直、まだそこまでの自信はないけど、そう思います。いつか、お互いすべてをわかり合えるような関係になるといいな。でも、やっぱりあなたとけんかなんてしたくないな。ぼくにはまだよくわかんないけど、これから、もっとあなたと接することができるのなら、間に壁なんて作りたくない。やっぱ俺、バカみたい。

2008年3月 9日 (日)

想いの行方

あれから、1週間が経った。

やはり、何も連絡がない。まぁ、この1週間は連絡がないのは予想していたことだ。この1週間で時間が作れるような日があるわけもないから。でも、やっぱり待ってしまう。見込みのメールだって、一応質問系のメールのまま途切れているし。もしかしたら、来るんじゃないかって期待していしまう。携帯がなるたび、彼女からかって期待する。でも、もちろん違う。

でも、1週間メール来ないと不安になる。このまま彼女はぼくのこと忘れてしまうのではないかと思ってしまう。また、メールを送ってみようか考える。見込みのこと、どういう風に思ったのか正直とても気になっている。でも、見込みのことでメールするのはなんだか感じ悪いと思う。聞いたことを聞き返されるのだから。なんか、少し喧嘩っぽい感じがしてしまう。送るメールをまた、いつも考えている。これの繰り返しである。メールを送っては、来なくなり、送るメールを考える。この繰り返しだ。そして、彼女にとってぼくはすごく迷惑なんじゃないかって気がしてくる。これでまたメールを送ったら、本当にとても迷惑をかけている気がする。実際、迷惑だろう、面倒だろう。でも、その迷惑が許せる迷惑ならよいのだ。うれしい迷惑ならよいのだ。まぁ、そんなうれしい迷惑なはずがないだろうが。

今日は、お店の下見に行った。どんなお店に連れて行けばよいのだろうか、どんなお店なら喜んでもらえるだろうか。毎日いろいろ調べて、何個か選んで、その下見に行ってきた。彼女が一体どういうものが好きで、どういう雰囲気のお店が好きで、いつもどんなものを食べて… わからない。お酒はどうすればよいのだろうか。ぼくより大人だし、どれくらいの値段のお店に行けばよいのだろうか。もちろん、どんなお店でもおごるつもりでいるけど、いきなり高いお店に連れて行っても、やりすぎな感じがあるし、実際ぼく自信あまりそういうお店に行ったことがないから、よくわからない。とにかく悩んでばかりである。

あと、ホワイトデーを買った。野菜のスイーツのお店に行った。ホワイトデーの特別のやつが良かったのだが、あいにく売り切れで普通のやつにしてしまった。

とにかく、なんだかんだでわくわくしながらいろいろ準備し始めている自分がいる。食事で話す内容とかも毎日考えている。もともと話すのはあまり得意じゃない。こういうのを選ぶのもはっきりいって才能がない。いろいろ調べてがんばるときは、いつも決まって空回りで終わる。とにかく、相手が本当に喜んでくれているか気になってしまって、どんどん自分でへこんでいってしまう。そんなことがないよう、本当にいろいろ準備しちゃっている。彼女からいつメールが来るかもわからないのに。そんなことないかもしれないのに。たぶん、そんなことないのに。

とにかく、もう一度メールを送らなければいけない気がする。1週間に一度くらいはメールしなければ、彼女はぼくのこと忘れてしまいそうだし、何よりぼくが不安だ。怖い。でも、メール送るのだって怖い。思い切って、食事のこと聞くのもありである。どんなものが好きなんですかって聞いてみたり。なんか行ける前提で話しを進めていってみるのもありなんじゃないかって気もしてくる。でも、なんかそんなに強引に食事に行っても、それに相当するおもてなしができるとは思えない。てか、その強引さが、実際じゃ全く出ない。ただのへたれボーイだ。メールでも、なんかへたれになってしまう。へたれメールがぼくの得意分野。情けない。

まぁ、ぼくにしてはここまででも十分アグレッシブに動いたと思う。へたれメールながら、送るという行動ができたことは、それだけでもいい方だ。悪い方なのかもしれないけど。こんなにレストラン考えたり、メール考えたりするのだって初めてだ。結構一生懸命にがんばってるつもりだ。もっともっと、ぼくにはいろんなものを学ばなければならない。いろんなことを経験しなければならない。この恋を通して、すごく実感する。ぼくはまだまだ甘ちゃんの子供だ。ぼくの彼女への想いは、ずっと続けばよいものだ。

こんな気持ち久しぶりだ。

これが、‘好き’だね。

2008年3月 3日 (月)

友情と愛情

今、いろんなことが動いている。

いままでの落ち着いていた人生とは違ったことが結構起こっている。

9泊10日の、大旅行をした。友達と、車で屋久島まで行って、その後九州、中国地方を回りながら帰った。そんな経験は初めてだった。ぼくは友達と旅行行ったっていっつも気使ってばっかで、正直一人で旅した方が楽しいと思っていた。むしろ旅行というもの自体にそこまでの魅力を感じていなかった。でも、今回の旅行は違った。真剣に楽しかった。大学1年のころからずっと仲良くしてきた友達だったからかもしれない。彼らとのいる時間は本当にとても長い。いつも彼らとつるんでいた。でも、そんな彼らともぼくは少し壁を作って生きてきた。すべてをさらけ出すことがぼくにはできないみたいだ。ちょっとしたことで嘘をついてしまうことは、やはりある。でも、今回の旅行で、人というものの温かさを知った気がする。屋久島の人たちは、みんないい人だった。親切にいろいろ教えてくれた。タンカンくれたり、刺身くれたりした。とっても優しくて温かい人たちだった。人間は、一人でいると寂しいのかもしれない。友達同士だからこそできた旅行だし、彼らがいなかったら絶対に無理だった旅行だ。彼らとじゃなきゃ絶対にできなかった旅行だ。この大学生活でとっても大事な人間関係を作ることができたなって思った。本当に、ありがたいことである。そんなことに、やっと気づいたぼくだった。ぼくみたいな最低な男を受け入れてくれて、仲良くしてくれて、つるんでくれて、、、本当にありがたいことなんだと思った。嫌われてもおかしくないようなことだってしてきた。でも、みんな嫌わないでくれた。もしかしたら影で何か言われてるかもしれない。そんなこと考えると怖いけど、言われてても、きっとそんな大きな問題となるようなことではないと思う。彼らには本当に感謝したいし、これからぼくが生きていく限り、いつまで生きるかはわからないけど、続けていくべき、切れてはいけない人間関係なんだと思った。人生も捨てたもんじゃないかもしれない。

でも、そんなぼくは、やはり最低でどうしようもない人間だった。ぼくは、恋をしている。久しぶりに、恋をした。友達とかの旅行がこんなに楽しくて、終わってほしくないと思っていても、どこかで女のことを考えちゃう自分がいた。人間が異性を想うのは、生き物だから仕方がない。でも、何か自分が情けなく感じた。うまく言えないけど、どうしてこんなときにって思った。もちろん旅行中に恋愛感の話とかもした。でも、何か違う、こんなときに考えてることじゃなかった。

旅行のときも、美容院の彼女にメールを送ろうか、悩んでいた。どんなメール打てばよいだろうとか結構考えてしまっていた。ちょっとの間にメール見て文章修正したり、写真見たりもした。旅行の途中、直島に行った。彼女がホームページのコラムに書いてた場所。直島にいるとき、正直ほとんど彼女のこと考えてしまった。彼女のコラムに載ってたゴミ箱に行きたかったのに、行けなかったのはとても残念だった。直島はぼくの感情を抑えられなくするには、十分のものだった。

メールを送ってしまった。モデル事務所のスカウトのこと、直島のこと。そして、食事に行きませんかって送った。何度も送ろうとして、躊躇しての繰り返しの末、ついに送信ボタンを押してしまった。すぐに中止すれば、送らなくても済む。いつもならすぐ終わってしまうその送信中の時間が、とても長く感じた。もちろん、この美容院の彼女のことは、友達には話してない。メールのことも、ぼくの直島への思い入れも。一人で考えて、一人でやった。何度か話そうとしたけど、結局言えなかった。ぼくは、だめだ。いろんな感情がぼくには整理できぬまま、メールを送った。

彼女はその日の深夜にメールを返してくれた。次の日の朝、そのメールに気づいた。とても、優しく、とても意味深なメールだった。まず、モデル事務所のこととか、すごくほめてくれたし、直島もうらやましがってくれた。そして、食事については、「食事は行きたいけど、たぶんなかなか時間が合わないと思うなぁ」という返事だった。どっちに解釈してよいのかが、いまいちわからなかった。行きたいと言っているのだから、行きたいと思ってくれてるのかもしれない。でも、時間がないとか、予定が合わないとかの返事は、誘いを断るときの定番の手段だ。ぼくより年上の女性だし、年上らしい優しく上手な断り方のように感じた。でも、‘行きたい’その言葉が、ぼくにはとてもあきらめきれない言葉となって、ずっと心について回った。

とにかく、メールを返信しなければならない。旅行のことを少し話す。そして、その意味深な言葉に対する返事だ。ぼくはいろいろ考えた。断っているのだろうし、気を利かせてそのことは終わりにするべきなのだろうか。でも、そうしたら、なんて返せばよいのかわからない。行きたいと言っているのだから、それに期待するべきかもしれない。もうここまで行ったら、どうなっても良い気もした。もう食事に誘っちゃたし、もう元の状態には戻れない。いろいろ悩んだ結果、もう一押しすることにした。確かに、彼女は美容院に入ってるし、忙しいのは知っている。忙しいに決まっている。時間はあまりないかもしれない。だから、もう一押し。ぼくは今はひまだから、いつでも大丈夫だから、彼女に合わせますって言ってみた。もし、これで、彼女が時間を言ってきてくれさえすえれば、一応実現してしまうことになるのだ。でも、彼女からのメールは返ってこなくなった。

やはり、ぼくは彼女にふられたのだろう。そこまで言われたら、もうメールを返すのが面倒になる気持ちもわかる。どうせこれから会うこともない人だし。正直うざいと思われたかもしれない。でも、それでも期待してしまう自分がいた。あの行きたいって言葉に、どうしても期待しちゃう自分がいた。とにかく、1週間待ってみることにした。彼女は忙しいし、そうすぐにメール返せないかもしれないし。いろいろ考えてくれてるのかもしれないって希望を持った。そんな反面、ふられ、ありがとうメールの作成も始めた。もうおしまいだから、どうしても最後にありがとうございましたって伝えたかったし、陰ながら応援してるって言いたかった。好きになっちゃったことも、結構真剣だったことも伝えたかった。最後に、言いたいこと、いろいろ考えながらメール作った。

今考えれば、そりゃ、無理な話である。最初からわかっていたけど、彼女は違う世界を生きている人間だ。ぼくはただの学生。彼女は美容師を夢見て一生懸命仕事している。年齢も違う。3つも年上だし。共通点もない。ぼくは彼女のことなんて何も知らないし、彼女はぼくのこともっと何も知らない。ぼくにとっては運命を感じたかけがえのない特別な人だけど、彼女にとってはただの客の一人。カットモデルやってくれたかもの中の一人。きっと生きてきた道だって全然違う。つり合うはずがない。でも、そんな恋にあこがれてしまう。バカで哀れな自分である。正直、本当に万が一うまくいったところで、食事に誘えたところで、どこに連れて行けばよいのか、優柔不断なぼくには全くもってわからない。何を話せばよいのかも全然わからない。ただ、彼女に会いたい。彼女のこともっと知りたい。そんな感情が他のどんなわずらわしい現実よりも勝っているだけのことである。これからのこと考えると、この春休みだけの苦い思い出で終わってしまった方がよいのかもしれない。

でも、ぼくはどうしても彼女が好きだった。ぼくの夢は、彼女になった。彼女とどこか地方で一緒に暮らして、彼女は美容院を始めて、ぼくは仕事しながら、その美容院の手伝いをする。こんなこと望むようになったのは、ぼくには本当に考えられないことである。結婚とか、子供とか、そういうの全く考えられなかったはずなのに、ありえないと思ってたはずなのに、気づけばそんなこと考えてた。ばかみたいに、ぼくが修士を卒業して、就職で地方に行くときに、一緒に来てほしいみたいなこと、考えたりしてた。なんだかわからないけど、すごく幸せな気がした。でも、こんな感情も、ぼくが彼女のこと全く知らないから思い描けることなのだろう。ただの、理想の、憧れの存在になっているから、そんな感情を抱いているのだろう。でも、こんな気持ちに初めてなった。

そして、1週間が経った。ついに、彼女に終わりを告げるときが来た。でも、そのとき、ふと他のこと思ってしまった。やっぱり、断るなら、ちゃんと断ってほしくなった。メール無視で終わるのはなんか悲しかったし、少し心配になっている自分もいた。もしかしたら、彼女の身に何かあったんじゃないかって、そんなばかみたいなことも考えてしまった。どんなことでもいいから、彼女から返信がほしくなった。それで、断られてから、ありがとうメールを送ればいいって、思った。だから、ちゃんと断ってくださいってメールしてみた。送った瞬間後悔した。返信が怖すぎた。どんなこと言われるのだろうとか、これも返信くれなかったら嫌だとか、いろいろ考えてしまった。

でも、ちゃんと返ってきた。メール受信して、彼女からだってわかったとき、メール開くのをためらってしまった。5分くらいためらって、迷ってしまった。でも、見なきゃしょうがない。

彼女のメールは予想外のものだった。きっぱり断ってくれるのかと思ったら、忙しくて、いつ空いてるって言えなかったから、メールできなくて、ごめんって。時間作れそうな日があったら連絡するって。第一印象は、驚きだった。えっ!?って思うしかなかった。正直、喜んでよいのかもよくわからなくなってしまった。何か彼女は勘違いしてるのじゃないかって気もしてきた。でも、見込みはまだあるってことなのだろうか。また、返信を考えなきゃいけなかった。あまりに正直すぎるメールになってしまった。驚きの返事です、見込みありってことですよね、喜んでもよいのかなって言ってしまった。そして、いつでも連絡待ってますって言ってしまった。調子に乗って、彼女が忙しいのが心配だとか、仕事応援してるだとか、無駄なことも言ってしまった。

その後彼女から返ってきたメールは、見込みってなんの見込みですか?ってものだった。正直よくわからなかった。彼女と食事に行く見込み以外に何が考えられるのだろうか考えた。彼女は一体なんの見込みだと思ったのだろうか、わからなかった。いろいろ考えた。考えられるものといえば、付き合える見込み。そこまでの気持ちをぼくが抱いてるなら、うざいと思ったのかもしれない。食事ってものに、彼女はどういうふうに考えているのかわからなかった。彼女と食事にいける見込みですってメール返した。ぼくは、そのメールの真意について今でも考えている。

それから、また1日メールは来ていない。もしかしたら、もうメール来ないかもしれないって思った。そんな予感がとてもする。これから、また彼女が時間作れるまで連絡を待つことになる。ずっと、永遠に待つような気がしてきた。もちろん、彼女はとっても忙しいのだと思う。たぶん、ぼくが想像できないくらい忙しいのだと思う。でも、少しメールを返す時間だったらある気がする。彼女のこと何にも知らないから、いろんなこと考えちゃって、だめである。もしかしたら、完全にふられてしまった方がよかったのではないかって気がする。この状態では、最後のありがとうメールを送ることだってできない。例え1ヶ月メールが来なくても、それでも彼女からの連絡を待つという状況は変わらない。ぼくのために費やす時間がないと言ってくれれば、心置きなく最後のメールだって送れただろうし、こんなに何かが引っかかるような、どうしようもない想いをしなくてもよかったのかもしれない。でも、逆に、もしかしたらこのまま彼女と本当に食事にいけるかもしれないわけで。本当に付き合うことだってできるかもしれないわけで。そんな可能性、見込みが生じてしまっているわけで。それを待つのはとても辛い気がする。日が経つごとに、辛くなってく気がする。とにかく、一生懸命待つしかない。彼女がもし時間作れたら、ぼくに連絡くれるかもしれない。待つしかないんだ。不安とか謎とか、希望とか、絶望とか、いろいろな想いの交差が、ぼくの心をしめつける。とにかく、待ちます。食事の場所とか考えながら連絡を待ちます!

最近のぼくの生活は、感情は、平穏ではない。久しぶりにこんなにいろいろな感情がふくらんでいるし、なんかこういうのは、青春っぽい。友情とか愛情とか、ぼくにはまだまだわからないことばっかりだ。でも、こうしていろんなことがわかっていくのかもしれない。成長していくのかもしれない。ぼくは、この春休みを絶対に忘れない。

彼女との運命は、これからも続くのだろうか…。

2008年2月 5日 (火)

ちっぽけな自分

どうしてこんなに自分はちっぽけで薄っぺらなのだろうか。

ぼくは、人と本音でぶつかったことがない気がする。

いつからだろうか。自分を嘘で固めるようになった。友達にも、彼女にも、家族にも、すべてに違う自分がいる。ある事柄に対して、こいつにはこうやって言ってたな、あいつにはあぁやって言ってたな、ってのがよくある。なんかこうやって言ったら、自分に不都合になる気がして、全くどうでもいいようなことで嘘をついてしまうことがとても多い。何か都合の悪いことを聞かれれば雰囲気でごまかしたり流したりすることもよくある。何かいつもぼくの言葉には心がない。適当でその場限りの発言が多い。他人のこと考えて気使っているようで、結局自分のことしか考えてないのだろう。自分のために、嘘を並べるのだろう。ぼくは人に相談をしたことがない。恋とか、人生とか、そんなこと人にしゃべったことがない。その相談相手も困らせるし、自分も何にもいい気分がしない。誰もハッピーにならない。

ぼくは、他人の気持ちが気になる。それは確かである。今その人はどう思ってるのだろうとか、その人は何を感じているのだろうとか、すごく気になる。でも、それが嘘につながるのかといえば、違う気もする。思ったことは口にしない。その場に合わせる。人と近くなりすぎない。必ず、人とどこかに壁を作って、どこかに影を作っている。「野ブタ。をプロデュース」を読んでいたら、涙が止まらなくなった。あそこまで大げさじゃない。ぼくは別に決して人気者ではない。でも、何か自分のこと見てるようで辛かった。ちょっとしたことで、一気に化けの皮が剥がれ、孤立した桐谷修二。ドラマを見ていたので、その後また、みなと仲直りして元に戻るのかと思ったら、本じゃ嫌われたまま、転校して終わりという展開で、大きなショックを受けてしまった。

ぼくがしている薄っぺらなメール。ぼくがしている薄っぺらな会話。薄っぺらな関係。それが何かどうでもよくなってしまった。そんなことしている自分がとても嫌になった。もう、人生をやめてしまいたくなった。眠れず、ずっとそんなこと考えていた。何が研究だ。何が勉強だ。何がデートだ。何が旅行だ。何が屋久島だ。何がおしゃれだ。何が美容師のお姉さんだ。何が新しい恋だ。すべてのこと、投げ出したくなった。誰もいないどこか遠くに、一人でいることを望んだ。

薄っぺらでちっぽけな自分。つまらない人間。

結局は、美容師のお姉さんにすがって、妄想ふくらませて、気づいたら寝てて、元に戻ってた。壁を作った、さまざまな顔を持った自分に戻ってた。自分の感情ってよくわからない。自分が頭で考え、心の中でしゃべる内容だって、頭で考えて、自分の本心ではない気もしてくる。こうやって考えてる自分が好きだから、心の中でこうやって考えようって、脳みそが命令しているような気がする。そして、本当に自分が抱いた思いは、一生表に出ない。ぼくの心の中にも出ないのではないかって気がする。こんな自己満足な文章だって、自分の本心ではないような気がする。こうやって無駄に書いている自己満にひたっているだけのような気もする。いまいちよくわからない。自分がわからない。生きることがわからない。このままでいいのかわからない。いつか嘘のない人間になれるのだろうか。わからない。何もかもわからない。

ただ一つ言えることは、ぼくはとてもちっぽけで薄っぺらな人間だってこと。

これにはぼくのどんな感情も異論はなさそうだ。しかし、こんな自分を改善したいのか、こんな自分を実はかっこいいと思っているのか、それはぼくにはわからない。誰にもわからない。生きてても、死んでも、わかることはない。結局はぼくが、どんな感情で行くか次第だ。どんな感情を脳みそから命令させるか次第だ。そんな脳みその命令は、脳みそが決めるのだが、それもまた、決めるのは脳みそだ。もうよくわからない状況だ。そんなよくわからないぼくの思考回路が、嘘を生み、壁を生んでいる。こんな思考回路の違いを性格というのだろうか。それもまた違う気もする。

ぼくは、今美容師アシスタントのお姉さんのことばっか考えちゃってしょうがない。偶然会ったとき話す内容、雑誌に載ったときに送るメール、何度もシミュレーションして、楽しんでる。でも、結局シミュレーションどおり進んだことなんて一度もない。よくわからないこと言って後悔するだけだろう。

ぼくは、友達関係、恋人関係、家族関係、どれも薄っぺらな関係だとは思っていない。でも、自分は薄っぺらだ。どうしても壁作っちゃう。嘘ばっか言っちゃう。やっぱ生きててもだめかな。人のために生きるなんて無理かな。自分の人生は人のためにあるっていうのに。

2007年10月11日 (木)

生きることが辛くて

何だか涙が出る

いつの間にか月日がたって

気がつけば1年がたつ

家に帰りたくない

そんな時もあるだろう

一人でどこか

だれもいない場所にずっといたい

求めるものなどなくて

生きる活力もなくて

ただ死ぬことが怖くて生き続けるだけさ・・・

言葉にはできない

この思いをだれかに伝えたい

涙をふいてまで行かなくてもいいから

辛いときは足を止めて

ゆっくり進めばいいさ

 

夢に描いたような

そんな人生になると

信じていたあの時に戻れるなら戻りたい

未来に何があるか

わからぬまま生きていく

未来は自分の力で変えていこうと

必死になるよ

生きる道に迷う時は

迷うだけ迷って

自分らしく自分で見つけ出そうよ

あせらずに・・・

怒りやせつなさは

はかなくて無力さ、そんなものさ

夢に描いた道を行かなくてもいいから

せつなさは心にしまい

強い意志を持とう

 

言葉にはできない

この思いをだれかに伝えたい

涙をふいてまで行かなくてもいいから

辛いときは足を止めて

ゆっくり進めばいいさ

ゆっくり進めばいいさ

2007年8月 8日 (水)

最近、ぼくは恋がしたいと思う。

最近ぼくはどきどきする気持ちを味わっていない。基本的には初対面で話した女の子は少し気になって、その人を考えたりするけど、本当に恋というところまで発展してはいない。その好きな人を前にすると胸がどきどきして、その子が他の男としゃべってるとものすごく嫉妬して、しゃべろうとするといつもなんか空回りしてしまって、少しでも時間ができるとその子のことを思い出して、何よりその子が自分をどう思ってるのかが気になってしょうがなくなる。そんな恋は全く遠ざかっている。実際そんな恋をしていないので、恋がどんなものであるのか忘れてしまっているくらいである。

ぼくには今彼女はいるが、もう2年になり、確かに彼女は好きだけど、そういう‘どきどき’であったりするようなことはなくなってしまった。彼女のことは好きである。彼女といると楽しいし、すごく自分を出せて、落ち着くことができる場所がある。それはとても幸せなことなのかもしれない。それ以上はないのかもしれない。それなのに人間は他の恋がしたくなってしまうのだ。彼女を飽きたわけではない。確かに自分とは違う面や少し嫌な面も見えてくるが、別にそんなことは慣れの問題でなんとかなることであると思う。しかし、やはり新しい恋を求めてしまうのである。

すごくそのどきどきを味わいたくて昔のどきどきした出来事を思い出そうとするが、思い出したら思い出したで落ち込む。自分は本当にだめだったなぁってそっちばかりを思ってしまう。恋をしたってどうせまた自分が嫌になるだけである。どきどきするってことは自分のダメさを痛感するってことだと思う。でも、それでも人間は恋をすることをやめない。それは人間の、動物の本能であるのかもしれない。恋は、誰しもに生じることなのである。その生じ方はもちろん人それぞれである。全然恋にならない人もいれば、すぐ恋してしまう人だっている。どんなときでも恋は生じるときは生じてしまうのである。しかし、それでも恋は結局は自分で作り出していく物であると思う。恋に発展しそうになっても、そこで身を引いてしまってはそれは恋ではなくただの逃げなのであろう。

ぼくは、そんな恋を味わってみたくなっている。必ず後悔するその恋を味わってみたくなっている。最近ではインターンであったモデル風の女の子がとってもいい子で、もっとその子のこと知りたいって思った。飲み会とかで話したし連絡先とかも聞いたけど、でもこの先どうしようもない。結局そうやってぼくは逃げるだけなのである。恋がしたいくせに、そこにあるのは勇気の壁と日常の壁である。

ぼくは恋をすることができるのであろうか。

2007年5月16日 (水)

バカ2

実験の子は今日も気になる存在だった。

実験の班で同じの唯一の女の子の彼女が気になって仕方がない。あの日以来実験の日は少し楽しみである。いまだに携帯を聞いたわけでもないし、そんなに話せるわけでもない。相変わらず彼女が自分を見てる気がしたりするし、ぼくは実験のときは常に彼女の近くにいて一緒のことやっていたいと思う。そして、今日は彼女が少し違った。

彼女は今日なぜか化粧に気合いが入っていた。今まで見たことのない化粧の気合いの入り方で、まつげが上にくるんとあがって目がいつもより大きく見えて、確かにかわいくなっていた。化粧ってすごいって思った。でも、なぜ今日彼女は化粧をしっかりしてきたのだろうか。疑問である。今日は実験であるからお昼の時間もいつになるかわからないし終わる時間だって定かではない。だから、今日誰かに会う日とかではないような気がする。そしたら実験のためにしてきたのであろうか。一体どういう気持ちで化粧してきたのだろうか。こんなことが起きると、ぼくはまた勘違いしてしまうではないか。彼女は今日ぼくに会うから化粧してきたのではないかって。勝手に勘違いしてしまうではないか。いろいろ考えてしまう。バカみたいにいろんな想像をしてしまう。なんだか彼女がぼくのために化粧をしてきたようにしか思えなくなっていくる。違う可能性があるとすれば、実験班のほかの男である。また、今日昼休憩のときにたまにその班の男たちとご飯食べるのに今日はいなかった。てことはお昼に男に会っていたのであろうか。また、実験班の一人の男が今日昼休憩で食堂にいただろうかという疑問が出てきた。もしその男と彼女がどっかで二人でお昼食べていたりしたらとっても悔しい。とっても悔しい。彼女の気持ちが知りたい。ただ単純に、今日彼女が化粧をしっかりしてきた理由が知りたい。

また、今日は実験の終わる時間がぼくの彼女とかぶってしまい、非常にめんどうなことになった。ぼくの方が実験の子よりも実験が早く終わったので、ぼくの彼女と早めに帰ったが、ぼくの彼女が指輪を落としやがって学校まで探しに戻ったのだ。そのときに実験の子と会ったらどうしようと正直気が気じゃなかった。学校の近くで落とした指輪は見つかったのだが、そのあと折り返して帰るときになってもまだ実験の子は現れなかった。帰り方が違ったのかなぁと少し安心して帰っていたが、最悪な事態となってしまった。彼女と帰っている途中で実験の子が現れたのだ。実験の子は一人で、早足でぼくの後ろからあっという間に抜いていってしまった。その実験の子の下を向きながら進んでいた後姿はとても忘れられない光景である。最悪であった。ぼくが付き合っている女性といるところを実験の彼女に見られてしまったのだ。きっと実験の子はぼくが彼女いることを知っているんだろうが、なんだか秘密がばれた気がしてとても元気がなくなり、沈んだ。実験の子にだけはぼくが彼女といるとこを見られたくなかった。一応今までは意識し始めてからは見られていないはずだった。今日彼女に会っちゃったことや指輪を落としたことは本当についてないとしかいえない。その後した彼女とのキスは今までで一番味のないただの肌のふれあいのような感じであった。最悪としかいいようがない。

でも、もしこれで実験の彼女から避けられたりとかしたら彼女が実はぼくを意識していたことがわかるかもしれないし、バカすぎるぼくはちょっとそのあと実験の彼女がショックを受けていないかなと思ったりもしてしまう。化粧も来週はどうなってしまうのであろうか。気になる。今日はずっとそのことばかり考えている。実験の彼女のこと、実験の彼女と一緒にいたかもしれない実験班のほかの男のこと、彼女の化粧のこと、ぼくは実験の彼女にほれているのかもしれない。よくわからない。それでもやっぱり気になるという感情、近づきたいという感情は持っている。それの目的が何なのかはわからないけど、やっぱりもっと仲良くなりたい。今度実験のデータをわざと消してでも彼女と話す機会を設けてみようと思う。とにかく今後の彼女の化粧の様子が気になるところである。

すっごく気になる実験の彼女、今でもなんか考えてしまう。

2007年4月21日 (土)

人間のバカさ

人間は、いや、ぼくはバカである。つくずくそう思う。

最近のぼくのバカさといえば、すぐ人を好きになりかけることである。実験の班で、その中に唯一女性がいるのだが、今までその人の顔は見たことあったけど、話したこともないし、別にかわいいとも思わなかったし、普通にどこにでもいるような女の子だと思っていた。しかし、実験の班で一緒になって、なんか唯一の女の子だし、少しかわいそうで気になった。なんか少し話したりしたらより気になった。さらに言えば、ぼくはバカだからその子が自分のこと見てるような気がしてくるのだ。その子がもしかしたら自分のことちょっと気になっているんじゃないかって思ってしまう。バカだから。ぼくは彼女だっているし、それは周りにもよく知られていて恥ずかしい限りであるが、それでもなんかそんな気がしてくる。バカだから。そうして少し気になって心配しているうちに、その子の着ている服、その子のしぐさ、かわいく見えてくる。

あれ、この子こんなにかわいかったっけ。

って思えてくる。きっと、その子こそそんなぼくの視線に気づいたりして気持ち悪く思ったりするのだろう。ぼくはちなみにそんなにその子を見ているつもりはないし、そんなことないと思う。でも、ぼくはよく友達とかにがんみしすぎとか言われることあるし、気づかないうちに結構凝視してしまっていたりするかもしれない。そう思うと申し訳なくて気持ち悪くてたまらない。そして、ある事件が起こった。

ある授業が終わった後に、その子がぼくの名前を呼んで実験のレポートの質問をしてきたのだ。ただそれだけで、その質問のところはぼくはまだやっていなくて、会話はひとことふたことであった。なんか突然だったしあんま話したことない女の子と話すのは得意じゃないし、全然うまく話せなかった。

そのことをきっかけによりその子のことが気になってしまった。まず、その会話の後悔をした。何であの時どこがわからないのとか、やってなくてもいろいろレポートについて話せることあっただろうし、もしかしたらそこやったらメールするよとかでメアド交換とかがあったかもしれないし、本当に後悔した。そしてその夜、とりあえずその聞かれたレポートのところをやった。そして、明日はぼくから話しかけていろいろ話そうと思っていた。どうやって話しかけたらいいとか、どうやって話したらいいとか、空想の中でいろいろ浮かべて考えていた。結局、その次ぎの日にその子は授業をとっていなかったらしく、話しかけられることはなかったが、それがまたその子が気になる要素となった。

ぼくは別に彼女もいるし、彼女と別れようと思っているわけでもないし、その実験の子とどうかなりたいわけでもない。でも妄想の中では、その実験の子に略奪的なことをされてその子と付き合ったりしていろいろ起こったら・・とか考えたりもするわけで、実際ぼくはどうなのかわからない。でも、ぼくは情けない人間だから無難なほうしか選べないしその子とどうかなるはずがない。というかその子がまずぼくのことに対して何にも思っていないだろう。思っているはずがない。そんなのはわかっている。でもぼくはバカだから期待しちゃったりとかいろいろ考えてしまう。ぼくはバカだから。

それでも、なんか気になってしまう。気が付くとその子のこと考えたりしてる。今度の実験の時には話しかけてみようとか、そのときの話す内容を考えたりとかしてる。つまり、ぼくは知らない女の子と少し話すだけでその子が気になってしまうというバカな人間なんだ。前にも、バイト先の女の子がバイトのほかの子からアドレス聞きましたとかメール送ってきて、それだけでその女の子のこと気になっちゃって今まで言ったことのなかった飲み会とかも参加してみたりして勝手に好きになりかけたことがあった。その子は結局バイトのほかの先輩が好きってことを察して勝手に振られた気分になって悲しくなった。とにかくぼくはそんな情けない妄想のきもいバカなのである。

とりあえず、ぼくは実験の子と普通に話せるように友達になりたいと思う。普通に実験についてメールしたりとか普通に会ったらあいさつしたりとか、そんなことだけでもできるようになったらうれしい。なんだか今はその子が気になって仕方ないけど、とりあえず友達になれるようにがんばってみる。そしたら本当に好きになってしまったらどうしよう。それはわからない。ぼくはとりあえず先のことをバカみたいに考えすぎだ。話しかけることだってできるかわからないのに。ぼくはバカすぎる。

ぼくはバカすぎる。

2007年2月12日 (月)

将来

将来、ぼくは一体どうなっているのだろうか。

将来、ぼくは一体どんな人になっているのだろうか。

先を見るのが怖い。先に進むのが怖い。ぼくはだめだから、人と話すのが苦手だし、自分の意見とか持てないし、自分の感情とか出せないし、すごく人目を気にして何もできないし、平気で嘘だってつく。どんなに人の考え方が間違ってるって思ったって、どんなに自分に不利な状況になったって、どうせぼくは何も言えやしない。自分が我慢して、自分が負担すればそれですむことだから。ちょっと相手が怒ってそれに納得いかなくたって、どうせぼくは何も言えやしない。すぐに謝るんだ。ぼくが悪い、ごめんといっておけば住むことだから。ぼくは我慢強いのかもしれない。でもそれはただのだめだめだと思う。臆病なだけだと思う。すべてが怖いだけだと思う。なんだか何にもできないんだ。人の顔色とかばっかり考えてるくせに人を傷付けてしまったりしちゃう。結局ぼくはただのわからずやなんだと思う。ただ、怖いだけ。逃げてるだけ。嫌なことから逃げているだけ。

こんな自分が、将来一体何をしてるというのだろうか。そんなの考えたくない。ぼくはやりたいことが見つからない。見つかれば少しは積極的になれるかもしれないが、やりたいことはいまいちない。ぼくは勉強は結構好きだから、学校はさぼらず行くし授業もちゃんと受けて成績もとる。しかし、ぼくの勉強は何も身にならず、ただの自己満足だ。テストでいい点を取ることだけが生きがいみたいなもんだ。勉強はすればするほど報われる唯一のものだと思う。テストだったらいい点取ろうと思って真剣に勉強すれば誰だっていい点取れると思う。でもそんな勉強全然意味がない。将来の役に立たない。今自分が勉強していることですごく興味のあることに出会えると思ってやっているが、なかなかだめである。一瞬興味を持つことができた建築分野も、自分の才能のなさに絶望した。なんだか自分の情けなさに改めて気づかされた。まず、ぼくはプレゼン能力がまるでない。人前で話すことができない。何も伝えられない。そんなのでクリエイティブな仕事ができるはずがないのだ。かといって、営業などの、人付き合いが一番みたいな仕事はぼくはできる気がしない。人が怖すぎる。こんなぼくが、逃げてるだけのぼくが、一体どんなことをしているのだろうか。結局いつものように親に言われたことをして、親が進めたことをするのだろうか。いつまでぼくはこんなにだめだめなのだろうか。いつまでぼくはこんな情けないのだろうか。将来が怖い。死ぬために生きている自分が嫌い。怖い。

人生が怖い。

2007年1月10日 (水)

人を好きになる

人を好きになるって、どんなものだろうか。

人はどうしても必ず人を好きになってしまう。何かの拍子で人を好きになってしまう。

一度好きになったら、もうその人しか見えなくなる。どうにかして会おうとしたり、どうにかして話そうとしたり。バカだからわざと騒いだりして、バカみたいなことしてその人に存在を知ってもらおうとしたり。それこそ人を好きになったとき初めて気づく自分の一面があったりする。その人が自分をどう思っているのか気になるから、自分のことちゃんと見ようとする。自分の情けなさを知ったり、自分のダメさを悲しんだり。本当に人を好きになってしまうと自分のことが嫌いになる。そしてどんどん自分に自信がなくなっていくんだ。

人を好きになるのはどのような瞬間なのだろう。あるときは一目見た瞬間に好きになるパターンだ。小さいときはこのような一目ぼればっかりだっただろう。その場合は完全に人を好きになる対象を顔で選んでいる。他にも、合コンなどは顔で選ぶパターンだろう。だからといって、きっと本当に好きになったらその人の性格とかもよく見えてしまうと思うし、何でも許せちゃうかもしれない。そしてもう一方は、じっくりお互いを見てから好きになっていくタイプだ。あるとき、気づいたりする。俺はあいつのこと好きだって。いつも気づけば君がぼくの隣にいたって。実はすごいいいやつだって。きっかけはさまざまであるだろうが、人を好きになる気持ちに変わりはない。たぶん、それだけ熱くなって、それだけいろんな思いをめぐらせ、そして最後にはいろんな形で冷めたに違いない。

人を好きになるという人間の本能はすごいものだ。人を好きになれば、必ず傷つく。必ず自分が嫌になる。いろいろな面で成長する。そして、必ず一つの恋が終わったときには思う、もう二度と人なんて好きにならない。

それでも人は、また新しい恋をする。人を好きになるあの感情は、何にも変えられない。

そもそも、人間は何故人を好きになるのだろうか。本能的に言えば、それは子孫を残すためであろう。でも、人間のそれはなんか違う気がする。人を好きになって、人はその好きになった人に何を求めるのだろう。確かに本能的に相手にも自分のこと好きになってほしいと願う。どうにかして自分を知ってもらおうとする。でもそれはその人と付き合いたいからなのだろうか、付き合って、その人と子作りをしたいからなのだろうか。何か違う気がする。よくわからない。相手に幸せになってほしいと願うのだって、それは恋というものではないのだろうか。それだって、すごく人を好きになって、その結果抱かれる感情ではないだろうか。それは臆病というのだろうか。恋は、人を好きになるっていうのは、もっといろんないろんな感情が絡み合ってできている気がする。

人を好きになる。それは人間にとってやめることのできない感情である。でもその好きになり方は、人それぞれである。人間の、人生の最大の思い出で、最大の苦悩、苦痛である。また、最大の喜びである。

2006年8月16日 (水)

死へ

死へ、ぼくたちは刻一刻と向かっている。

誰だってそうだ。みな死へ向かって生きているのだ。自分の死に、また1分近づいていく。

こう考えると、ぼくたちはなぜ生きているのだろうかと、疑問に思うわけだ。人はどうせいつかは死ぬ。別にどうせ死んじゃうんだし、一生懸命生きたってしょうがない。生きている意味など別にない。人間はいつか来る死を待っているだけ。

しかし、人間には感情がある。喜びがある。悲しみがある。怒りがある。…痛みがある。苦しみがある。そりゃ死ぬのは痛く苦しいし、怖い。みなその痛みや苦しみに怯えて生きている。確かにそうだ。でも、そんなことではない。人間は、きっと人のために生きているのだろう。人を喜ばせるため。人を悲しませないため。ぼくが死ねば、少なくとも1、2人は悲しむ人がいるだろう。その人に辛い思いをしてほしくない。そう思うと死ねなかったりする。でも、ぼくはそれがからまわりしていく。ぼくは、人を怒らせないためなら平気で嘘だってつくし、自分の感情を抑える。ぼくはそうやってまわりのひとばかり気にして何にもできやしないのだ。こうやって、自分を正当化し、自分に殻を作り、そこから出ようとしない。つまり逃げているだけである。

死へ、ぼくは刻一刻と向かっている。

自ら命を絶つことなんてできない。そんな勇気もない。それでもぼくは死へ、また1分近づいていく。

人は、死ぬために生きている。

2006年8月 6日 (日)

旅路

旅路

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

叶わぬものに失望し

ありふれたことに絶望する

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

この世に生まれることを

いつしか後悔するのかな

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

愛なんてものにすがり

また傷が一つ増えるんだ

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

夢なんてものに頼ろうと

見つけようと必死にもがき苦しむ

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

何を生きがいにすればよいのか

何を希望にすればよいのか

すべてに負けないように

周りに牙ばかりむいて

人から避けられるようになる

いつになれば

いつになればぼくは大人になれるのか

どんな風に

どんな風にぼくは大人になるのだろうか

あぁ、何もない

この旅路で得るものは何もない

旅は孤独で

その旅を知るものは自分だけ

旅は苦で

その旅はいつまでも苦しい

旅で築いたものは絶望と落胆

ちょっとした喜びや希望は

思い出の中で美化されるだけ

旅を共に進む人はいない

旅を共有する人はいても

同じ道を歩くことはない

でもさ

それでも旅って捨てられない

それでも旅でいろんな経験をする

いろんな人に恋をする

恋なんて傷つくだけ

それでも人を愛することをやめない

子供を生んだら

その子にも自分のような辛い旅を歩ませる

それでも人は子を作る

子を自分の私利私欲で扱おうとする

希望をもつのをやめない

生きるのをやめない

人間の本能は

人間を追い込む

人間を孤独にさせる

人間を苦にする

旅路は

いつも規則的で

いつも排他的で

それでいて

分かれ道が多く

事件が多い

旅路に表れる数々の人間たちは

ぼくの旅路をあざ笑うかのように通り過ぎていく

そしてぼくも

出会う人々の旅路を荒らす

歩く

ただ歩く

生きるため

死ぬため

意外と捨てたもんじゃない

ぼくの旅路にゴールはまだまだ見えない

2006年8月 4日 (金)

人生って

人生って一体なんなんだろうか。生きることって一体何なんだろうか。

ぼくにとって人生は、とても辛く厳しいものだ。それでいて、ぼくにとってはたったひとつでかけがえのないもの。ぼくは人生に希望がない。夢もない。あるのは絶望だけだ。いや、本当はそんなことないのかもしれない。自分でもよくわからない。ぼくは自分が自分を嫌いで、とてもネガティブで、そんな自分が実は意外と好きなのかもしれない。そんなわけのわからないところで自分のかっこよさを見出してしまっているのかもしれない。ぼくにはわからない。生きるってことが。心から笑うってことが。気を使って、周りに合わせて、無難に生きることしかできないや。

2006年3月31日 (金)

一年前

ぼくはあと少しで大学生になる。

大学生というものにいろんな希望もあればいろんな不安もある。悲観的なぼくにはむしろ不安だらけだ。大学で何かを得ることが出来るのだろうか。本当に自分のやりたいことが見つかるのだろうか。また、ただなんとなくで4年が過ぎ去ってしまうのだろうか。サークルはどうしよう。選択科目はどうしよう。バイトはどうしよう。考えるだけで辛くなる。

大学が今までと違うのは、女がいることである。だからやっと服に興味を持つようになった。少しはいい格好しなきゃなって思うようになった。でもきっと恋はまたぼくの心を弱くするのだろう。どうせ告白なんてできない。いつまでも子供みたいにからかったりするくらいしかできないだろう。もしくは遠くで見てるだけとか。どうせ顔で選んで一目惚れなんだろう。きっとどんどん自分のことが嫌いになるんだろう。これ以上嫌いになったらもうどうなってしまうのだろう。でも、どっかでそんな自分がかっこいいと思っている自分もいるんだ。勇気のないやつは、優柔不断のやつは一番ダメなやつだとわかっていながらも、そんな自分に何らかのいいわけをしたり、何かを心に言い聞かせたりして、自分を正当化しようとしている。

ぼくと似たように自分のことが嫌いな人がいる。でもそいつはやるときはやるし、生きることに絶望してはいないようだ。彼は人に嫌われたくないと思っている。そして彼は人が好きだ。自分は何も出来ないやつだから、気を遣って嫌われまいとがんばっているんだと思う。時には偽善者と思われるときもあるけど、彼は本当に心からいい人なんだ。それはどんな人にも伝わる。だから彼は女にももてるし、彼を嫌いな人はきっといないと思う。彼は何もできないやつなんかじゃない。バンドだってやっててめちゃくちゃかっこいいし、何より人が好きで平和を求め、世界で一番優しいやつなんだ。ぼくは彼を尊敬する。彼のためなら死んでもいいかなって思える。この気持ちはもちろん愛情ではない。そして友情ともちょっと違う気がする。この気持ちを彼に知ってもらいたい。彼に自信を持って欲しいと願っている。ぼくがどんだけ彼に自信を持てと言ったって、彼はそうはならないだろう。それは自分のことを考えればわかることだ。ぼくだって誰かにいくらほめられても、そうなのかな、俺って結構世の中に必要とされているのかななんて思えない。君はぼくの本性を知らない。ぼくがどれだけ臆病者か知らない。って、ただそう思うだけなんだ。でもきっと彼はそこまで重傷じゃないから、そうなる前にももっと自信を持って欲しい。ぼくが彼に自信持てって言った時、彼は少し感動したと言ってくれた。本当に彼はいいやつだ。ぼくは彼のようになりたい。彼はぼくなんかと一緒にするなって思うかもしれない。こんな文見たら怒られちゃうかもしれない。勝手にわかったようなこと言うなって怒られちゃうかもしれない。それでもぼくは彼のようになりたい。

ぼくは臆病者だ。そして小心者だ。犯罪なんて出来るはずない。人に電話すらできない。お金もいっきにいっぱい使うことなんてできないし、自分の気持ちを貫き通すことだってできない。知らない人とは全く話せない。声の大きさも全然変わってしまう。何事にも勇気がない。すぐ投げやりになる。そしてかなりの優柔不断。気が小さい。はめをはずせない。さぼることもできない。空想の中でしか生きられない。死が希望。情けない。弱い。

さらにひどいことに、このようなことがわかっていて直そうとしない。それでいて意外と自分に自信がある。最悪だ。生きる価値なんて、全くない。恋をする資格も、ぼくにはない。

大学生活。いったい何が起こるのだろう。どんな人に出会うのだろう。少しは大人になれるだろうか。自分のことを少しは好きになれるだろうか…

2006年3月22日 (水)

・・・。

死のっか。そんな言葉が頭の中で今日も呼びかける。まぁ、無理だけどね。めちゃくちゃ恐いけどね。きっと地震とかが起きたら、がんばって逃げたりしちゃうんだろうな。いつも事故に巻き込まれたりしないかなとか考えてるけど、そう自分の身の回りに起こるものじゃない。なんだかんだで結局普通の人より生きてそうな気がする。憎まれっ子世にはばかる。したいって思えば思うほどそのことはできないものだし。きっと自分が今こんなにはなりたくない、こんなにまで生きたくないと思っている人にいつか自分もなるのかなと思うとなんかやってらんないな。あと何年すればこんなこと考えていた自分を笑えるように、笑って話せるようになるんだろう。「死」この言葉が頭から離れるのはいつになるのだろう。夢がない今の自分には、死がただひとつの夢、希望になっている。死ぬために生きるなんて何の意味があるのだろう。生きることの何が楽しいのだろうか。人間はちょっと成長しすぎた気がする。いろんなこと考えすぎになる。いろんなことを知ってるせいでより辛くなる。こんな生活は無駄ではないのだろうか。ただ辛い思いをして、それなのに死は痛く、苦しいから、とても恐いから、生きていかなければならない。どうか、死なせて下さい。楽しいこと辛いこと、きっと一年で楽しいことが50日くらい、後の315日は辛いことのような気がする。日常に縛られ、何も変化のない生活をただ、ただ続けていく。そんな人間に現実逃避のアイテムはたくさんある。テレビの世界、ゲームの世界、音楽の世界、想像の世界、夢の世界、娯楽の場、それらの集大成が、死なのだ。死は永遠の現実逃避だ。確かに死後、自分がどのような状況に置かれるかなんて誰も知らない。もしかしたら死の世界の方がより辛い世の中なのかもしれない。そしたら、どうしよう。わからない。ちょっと、元気がなくなる。でもこれだけは言える。死の世界はぼくたちの希望だ。たとえそれがどんなものでも。その未知さがいい。どんな学問でも解明することのできない。死んでみなきゃわからない世界である。何にも考えなくてすむのだろうか。いやらしい人間の世界から離れることができるのだろうか。そうしてくれるとありがたい。より死に希望を持つことができる。一瞬の痛み、そこに踏み出す勇気。そんなものがぼくにあれば、きっと4、5年前にぼくはもうこの世にいないだろう。いつからこんなこと考えるようになったのだろう。いつから自分のこと嫌いになったのだろう。

こんなぼくはもうダメですか?

2006年3月10日 (金)

僕は常に死にたいと感じている。これといって何が原因というわけじゃないが、とにかく生きていくことがとても辛い。僕は物事をすべてマイナス思考に考えてしまう癖がある。ポジティブにいかなきゃって感じているのだけど、どこかでやはりマイナスな考えが浮かんでくる。僕は自分のことが大嫌いだ。特に自分の勇気のなさにはうんざりしている。女と付き合うときなどは特にそうで、その人の名前さえ呼ぶことが出来ない。もちろんキスしようなんて言えるはずもない。他人と話すのがとても苦手で、全然打ち解けることが出来ない。大したことないことにも緊張するし、それでいてめんどくさがりやで強がりだ。時には知ったかぶりとかしたりするし、ホントにダメダメなんだ。こういうことがわかっていて直さなきゃと思うのだけど、いざって時に直らない。気づいたらまたやっている。自分の嫌いなところはまだまだあるが、きりがないのでこの位にしておく。こんな自己嫌悪もあって、今は女と付き合うのが怖くなっている。男子校に三年間いたせいか女と話すのも怖くなってきている。一度彼女の前で優柔不断っぷりをはっきしたことがあって、それでおもいっきりふられた。そのこともあるせいか女と付き合ったらその彼女を傷つけてしまうのではないかと思ってしまう。

高校三年間ずっと好きだった女がいた。少しドラマチックな出会いだったせいかすごく運命を感じてしまって最初メールですぐ告ってふられ、それから想い続けたのである。何度忘れようと思ったことか… 一度他の女のことを好きになって付き合ったが、さっき述べたようにふられ、結局その人を忘れられずに今に至っている。その人と話したのはわずか二回。メールは結構いっぱいしたけど、面と向かって話したことは二回しかないのだ。電車の車両をわざと一緒にしようとしたりするが、いざ同じ車両になったら話し掛けることもできずに気づかないふりをしつつ見てるだけだ。でも、その頃の僕にとってそれは実らない恋だというのはわかっていたし、そうやってできるだけ長い時間その人を遠くから見ていればそれでよかった。

ある日、やっとその人にメきりをつけた。無理やりではあるし、まだどこかでその人を探している自分もいるが、アドレス帳は消したし、もう連絡は取れない。でも次の恋に踏み出せるのか不安である。女は結構顔で選ぶ僕だが、かわいい子がいても「かわいい、抱きしめたい」と思うがなんかピンと来ない。ずっと好きだったその人と、正確には自分の中で作り上げたその人の自分の理想の姿とどこかで比べてしまっているのかもしれない。きっとその理想の姿を超える本当の人はこの世にはいないだろう。僕は結婚はしないと決めた。子供があまり好きではない。自分も昔子供だったからなんとも言えないが、育てる自信もないし、なんとなくかわいがれそうにない。これは結婚相手にとっても言えるが、養っていく自信がない。結構孤独が好きだ。自分のしたいこと、恥ずかしいことが誰の目も気にせず出来るからである。だからおじいさんになったらずっと孤独で生きていき、いずれやってくる死を待ち望んでいようと思う。

人生って何なのかわからない。何のために生きているのかわからない。人生は良いことより嫌なことの方がはるかに多いと思う。今後のことを考えると憂鬱になる。将来どんな仕事をしているのだろうかと考えると本当にその日がやってくるのを拒む。死ぬために生きるのは結構辛い。おそらく一生がとても長く、今の自分に人生の終わりが全く見えないだけに、結構辛い。そんなに辛くて、自分のことが嫌いなら自殺しちゃえばって思うかもしれない。でもそれほどの勇気はどこにもないし、きっとそこまで悩んでいないのだろう。きっと今かかえているバカみたいな悩みも大人になったら笑って思い出せるようになるのだろう。今こういうことで悩むこと、それが青春というのかもしれない。僕はこの青春の悩みを絶対に忘れない。とにかく今は自分を好きになれるようにがんばりたい。どこかここだけは自信が持てるということを見つけたい。あと、何かやりたいこと、そのことを考えてれば1時間がすぐたってしまうようなことが見つかればいいなって思う。

死はそう簡単にやってくるものではない。死にたいなんて望んだってダメだ。前を向こう、上を向こう。できなくても常にそういう意識を持っておくしかないかな。

2006年3月 8日 (水)

2004年クリスマスイヴ

今日はクリスマス・イブ

この日はどの人にとっても特別な日

子供たちは眠い目をこすりながら夜中やってくるサンタクロースを待ちわびている。どんな人なのか期待しながら、ドキドキしながら結局眠りにつく。翌朝「今年もサンタさんに会えなかった」と嘆き悔やむことだろう。そしてまた来年会うことを夢見て良い子にしていようとその日くらいは思うのだろう。

恋人たちは1年に一度のこの聖なる夜を二人っきりで過ごす。その夜、二人の愛を確かめ合おうと、プレゼントを渡し合ったり、ロマンチックな場所でロマンチックなキスをしたりする。この日恋人たちはみなドラマの主役になった気分だろう。そして二人はその日、「もう絶対に離さない、ずっと一緒にいよう」と心に誓うだろう。

恋人がいなくて、独りでクリスマスの夜を過ごす人もいるだろう。彼らはさびしい独りのクリスマスと感じているかもしれない。でも、そんな人たちのためにテレビはいつも以上におもしろくなっていたりするし、クリスマスだからっておいしい料理が食べられるかもしれない。街に出れば、独りだって十分楽しめることがたくさんあるだろう。

しかし、そんなことも何もなく、ただいつもと変わらず仕事があって、クリスマスなんか関係ないって人が大半だろう。大人になるということは社会人になるということはそういうことなのだろう。

僕はまだ高校生。クリスマスだからって今日は一歩も外に出ないでテレビ見たり昼寝したりだったけど、クリスマス気分は満喫した。別にさびしいとは思わないし、彼女ほしいとも思わない。僕はただこの日がいつもの日常のただこなすだけの平凡な日でなければそれでいい。それがサンタさんを待ちわびる夜であっても、恋人と共に過ごすロマンチックな夜であっても、独りで過ごす夜であっても。とても楽しい夜であっても涙を流す日であっても…。僕はこれから大学、大学院、そして就職と長い長い人生を歩んでいく。そして独りで生活できるような財力を得て、‘大人’となるのだろう。僕は今親に子供扱いされるのがすごく嫌で、自分はもう立派な大人なんだって言い聞かせている。でもやっぱり僕はまだまだ子供だ。世の中のこと何にも知らない。ましてや独りで生活なんてできるわけない。

クリスマス・イブの夜、それは1年の中で最も美しく、騒がしい夜かもしれない。

街に出れば、イルミネーションが輝いている。どの店に入ってもクリスマスソングが流れ、サンタクロースの人形やそのほかにもさまざまなクリスマスにちなんだ物が置いてあったりする。クリスマスケーキが売られ、おもちゃの店もとてもにぎわっていて、プレゼント包装された品物を持つ人々が大勢いる。人々はみんな笑っている。幸せそうな顔をしている。

でも、これは表向きなクリスマスのイメージであって、実際に街に出なくてもこれくらいの情景は浮かんでくる。しかし、影ではクリスマスなんて関係なく必死になってお金を稼いでいる人たちがいる。確かにクリスマス・イブも他の普通の日も同じ1/365であるが、それはやっぱり同じ1日じゃないって信じたい。きっと彼らもクリスマス気分になりたいはずなんだ。クリスマスにしか出来ないいろんなことを心に秘めているはずなんだ。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんな毎日がやってくることを考え、そこで何を生きがいにやっていくのかを考えると涙が止まらなくなる。生きているのが辛くなる。大人になるのは辛いな…

その頃の僕の生きがいとは何なのだろう。自分の好きな仕事についているのならよいが、もしそうでなければどうなるのだろう。僕は結婚はしないと心に誓った。子供もほしくない。そんな僕にどんな生きがいができるのだろう。とにかく僕はクリスマスもないような人にはなりたくない。1年に5回くらいは特別な日がほしい。そうすればきっとその日を待ちわびながら今と同じように暮らしていけるだろう。日々それぞれに幸せを感じられるように、昨日と違う今日を、今日と違う明日を見つけられるように生きていこう。自殺するほどの勇気もない。がんばるしかない。人生、がんばれ!!

2004年12月24日 クリスマス・イブ 深夜

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